2007年9月27日 (木曜日)

なんとなく思うこと

 Yahooで地元のニュースを見ていたら、こんなものを見つけた。

平和省:創立国に呼び掛け、長崎で地球会議12カ国の関係者参加--30日/長崎

9月26日15時0分配信 毎日新聞

 ◇被爆体験談や講演
 平和行政を担当する「平和省」の創設を国に呼び掛ける世界的なプロジェクト「平和省地球会議」が、国内で初めて開かれている。長崎市では30日に開催し、少なくとも12カ国の平和運動関係者が訪れる。
 イラク戦争を受けて米国と英国の市民が設立したネットワーク「グローバルアライアンス」が、05年に英ロンドン、06年にカナダ・ビクトリアで開催し、3回目。日本では、翻訳家のきくちゆみさん=千葉県鴨川市=が代表となり、昨年6月に「平和省プロジェクトJUMP」を設立し、今回の地球会議を主催する。
 会議は21日の千葉県木更津市でのコンサートを皮切りに、来月2日の琉球大学でのシンポジウムまで6カ所で開催。長崎市では30日午後2時から「被爆者の店」で下平作江さん(72)の体験談や、元小学校教諭の山川剛さん(70)が解説する長崎原爆資料館の見学の後、午後6時から県教育文化会館で米国の運動の事務局長、ドット・メイヴァーさんの講演(参加費1000円)がある。
 長崎での会議は大学生のボランティアで運営する。元・高校生平和大使の活水女子大1年、石井美保さん(19)は「戦争をベースにした防衛省とはまた違い、憲法9条の精神を生かして平和をベースに働き掛けていく行政の概念を広く知ってほしい」と話している。【錦織祐一】
〔長崎版〕

9月26日朝刊
 平和省なんて創ったら、ただでさえ火の車の国家予算が余計苦しくなるではないか。どこか一面的な考え方で無責任な気がする。
 さらにいえば、平和省なんてそもそも必要なのか。行政の軸がもう1つ増えるわけで、関係各省の駆け引きも増して全体としての運営が俄然困難になるはずだ。
 それに、記事とは直接関係のないことに言及するかもしれないが、平和だから平穏というわけではないし、国と国が仲良くすればいいなんて単純な考えは甘すぎるだろう。戦争は(僕が知るかぎりほとんどの場合)互いの利害が衝突したときの解決手段の1つに過ぎないのであって、戦争が起きていないときも各国は常に他者同士として様々なところでしのぎを削っている。国連の実態を見てもこのことは明らかだろう。高校生平和大使は何を見て来たのだと言いたい。・・・言い過ぎたかな?
 はっきり言ってしまえば、日本が国家として本当の意味で仲良くすべき相手国は世界中どこを探してもあるわけがない。
 「平和省」を創って何をしたいのかはこの記事からはわからないが、理想という名の幻想に根ざした提案なら、断固願い下げだ。
 このように長崎では思想的に僕と肌が合わないことが時々ある。長崎はいい街なのだが・・・。口にできないことも多いのが困りものだなあ・・・。

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2007年9月12日 (水曜日)

安倍総理辞意表明

 皆様お久しぶりでございます。夏休み・・・長崎で骨休めをしている間、ブログの更新がすっかり滞ってしまい申し訳ありません。では早速記事を書いて参りましょう。

 安倍総理が今日いきなりの辞意表明を行った。今後数日の内に新しい自民党総裁が決定し、総理交代の運びとなろう。

 国会が始まったばかりのこの時点での辞意表明は衝撃的で納得のいくものではないが、もはやあの力を感じられない安倍総理が続けていくよりは交代してもらった方が国民のためかもしれない。

 安倍さんは高邁な理想を掲げて登板したが、結局その多くは果たせずじまいであった。涙目での会見からは無念さがにじみ出ていた。日本の戦後国家体制の転換を謳ったものの、天運からは早くから見放されていた。本当に可哀想な人だ。その一方、高邁な理想が具体性を欠き、国民に訴求できていなかったり、理想の実現に向けての信念が前首相に比べれば希薄な物であるように感じられた。

 小泉さんの呪縛というのはやはり大きかったに違いない。小泉さんの後というのは誰がやってもやりづらいだろう。自身の理想・信条の実現を第一目標とするなら、いっそ、ポスト小泉の次を虎視眈々と狙うべきだったのかもしれない。真っ正直すぎて、したたかさに欠けていた感が否めないのが残念だ。

 何にしても、今更悔やんでも仕方ない。僕はかねてから小沢一郎には総理になってもらいたくないので、彼が失脚するまでは自民党に頑張ってもらいたい。次の自民党リーダーになる人も大変だろうが、早く後継を決定してほしい。

 安倍さん、ものすごく長く感じた1年だったでしょうが、お疲れ様でした。

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2007年6月30日 (土曜日)

中国鰻に発ガン性物質

 全く腹立たしい。憤りを隠せない。中国産の養殖鰻から発ガン性物質が検出されたという。このような事があるから彼の国は好きになれない。成熟の過渡期にあるという論理でも許せる話ではない。調子に乗るな中国! 我々の食卓、殊に鰻に関しては中国産は大きな比重を占めている。加えて鰻やその稚魚の漁獲高は減少している。それだけにこのニュースのインパクトは決して小さくない。大好きな鰻が安心して食べられないのは苦痛以外の何物でもない。

 人の口に入る物に携わる人間は、人の命に携わっていると肝に銘じなければならない。自らの責任を自覚していない業者は、食物に携わる資格はない。

 残念なことに日本にもミートホープのようなふざけた業者が存在するし、資本規模を問わず、発ガン性が疑われる添加物を平気で使用する企業も多い。

 グローバル化が進む中で人の生存と健康を守るためには、国内外を問わず全地球的な不断の努力が必要であることが見えてきた。

 こうした人類の敵は絶対に許さない、必ず怒りの鉄槌を下すという個々人の決意こそが、まずは重要だ。

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内定者の親を囲い込め

 今夜のワールドビジネスサテライトで、企業の内定者・内々定を囲い込む手段として、採用者の親にも自社について説明を行う企業が現れているそうだ。

 どこかで似たような話を聞いた気がした。

 そうだ。アメリカでもそんな事が行われているというのをフジのニュースジャパンで以前放送していた。

 意外な共通点だ。親に反対されて入社を辞退する若者が増えているらしい。

 自立出来ていない若者が増えているということなのだろうか。親に遠慮している若者が増えているのだろうか。過保護な親が増えているのだろうか。はたまた、老後を考えれば子供の収入を確実にしたいということなのだろうか。

 過去にはみられなかったこうした動向が良いことなのか悪いことなのか断ずることは僕には出来ない。

 しかし、仮に若者が小粒になっている結果であるならば由々しい事態だ。

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2007年6月20日 (水曜日)

骨太の方針2007

 骨太の方針2007が発表されたが、内容が各省の持ち寄り色が強いとマスコミは指摘している。安倍政権がこんな状態で参院選はどうなることやら。

 僕が最も疑問に思ったのが「今後5年間で労働生産性(一人当たり時間当たりの生産性)の伸び率の5割増を目指す」という箇所だ。そんなことができるのだろうか。IT化や地域経済の再生、規制改革などによってサービス産業の効率化を図るのだという。効率化は経済の面から見れば有益だが、果たして効率化を追求したところで人々は幸福感を得られるのだろうか。このあたりも気になる。

 骨太の方針2007原文(首相官邸ホームページ)

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2007年6月 7日 (木曜日)

安倍総理の支持率は上方硬直性?

 現職大臣の自殺というショッキングな事態を受け、安倍内閣の支持率が急落したそうだ。

 僕自身は、このニュースを聞いた直後において、同情的に支持率は上がるのではと楽観視していたが、マスコミや野党の総理責任論も影響してか、支持率は下がるという結果になった。

 何故そうなるかといえば、そもそも安倍総理の潜在的な問題となるのだが、「国民に夢を見させるのが下手」だからではないか。

 あまり外見のことを言いたくはないが安倍総理はかっこよくはない。発声も良くないし喋りが上手いともいえない。質問に対する受け答えになんとなく余裕がないようにも感じられる。これだけの条件がそろうと、テレビ画面から人物イメージを掴み取ることに長けた現代人には、元々受けが悪い(と思う)。

 しかも、総理になって打ち出した政策は、憲法の問題や教育の問題などだった。国の根幹に関わる事であるし、今取り組むことは大変結構なことだと個人的には思うが、国民の多くが緊急に望むことではなかった。これは各方面で指摘されているとおりである。

 国民との温度差の原因は、安倍総理が国民に夢や希望を見せることが出来なかったことだ。憲法を変えたら、教育基本法や教育制度を変えたら、日本にどんな素晴らしい事が起こるかという事を、国民に想起させなかったことが大きい。受けが良くない上に訴求することもない。これでは、崇高な目標を掲げて邁進しても、国民からの支持が得られるわけがないではないか。

 「戦後レジームからの脱却」を掲げたことで、マスコミに殊更これが強調されてしまい、「福祉後行型」「国民置き去り」内閣のようなイメージを国民に持たれてしまった。こうした先入観の払拭は大変難しい。

 これらのことから、安倍内閣の支持率にはそもそも「上方硬直性」があると断じざるをえない。

 そうした状況の中で、ここにきて所謂「消えた年金」の問題が発覚し、内閣は危機的状況だ。

 何とも運のない安倍総理だが、少なからず自らが蒔いた種である事を自覚してもらいたい。

 このままの支持率で参院選に突入すると、自民党の惨敗は避けられまい。そうすると、総理交代や、ひょっとすると政界再編もあるかもしれない。

 いやはや、どうなることやら・・・。

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2007年6月 2日 (土曜日)

物質社会の構造的欠陥と人類の破滅

 我々人類はどこへ向かっているのか皆目わからない。

 産業革命、あるいは近代資本主義の勃興以来、我々は欺瞞に満ちた蟻地獄に捕われ、未だに抜け出せずにいる。そして、この事が現代に幾つもの顕著な歪みを生みだし、我々の生存を脅かしている。数十年前に先見の明ある賢人の発した警告も、理解はされたが状況を大きく変える事はなかった。動きだしたうねりに逆らうということは、これほど難しいのだろうか。

 我々は生まれた頃から物質社会の洗礼を受け、この呪縛からは逃れられそうもない。しかし、この物質社会こそが我々を堕落させるばかりか自滅へと追いやる禁断の果実であった。

 物質社会は近代資本主義の賜と言って間違いあるまいが、近代資本主義社会における大量生産・大量消費構造が現代の苦難を招いたのである。

 マクロ経済学の父ケインズは「消費は美徳」と言ったが、これこそがこの社会の問題を指し示すヒントとなる。そう、消費は美徳とされ、豊かさを測る基準として、GDPやGNPがいつのまにか絶対視され(本来は次善策でしかない)、際限なく膨れ上がる消費に応じて人々の労働時間は長くなり、労働効率化が進んで人々から創造的精神を奪い、人口は過剰に集中して都市問題を引き起こし、様々な有限資源を子孫に遺す努力を怠り消耗した挙げ句、温暖化問題でそのしっぺ返しを食らっている。

 これが本当に「豊かな社会」と呼べる代物か。

 資本主義経済自体は悪いシステムではないかもしれないが、運営中に社会が誤った方向へ進みだしても、それを止める手だてが基本的に存在しない。それが市場というシステムだからだ。

 いよいよ現行の資本主義にも内部変革が求められている事がこれから明らかだ。新たな基軸(例えば精神的豊かさを巧く経済に組み込むなど)が導入されるなり、何らかのモデルチェンジが欠かせないと僕は考えている。今までの経済学が現代の問題の根本的解決に貢献していない事を見れば、言い過ぎではない事が理解されよう。

 問題は我々が新たな社会を構築出来るかどうかだが・・・、これは神のみぞ知るところである。だが、実現出来なければ人類は滅亡するしかあるまい。

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2007年3月 2日 (金曜日)

野村の笑点、大和のエビちゃん

 株券を持っていない僕には全くもって関係のない話なのだが(いずれ株を持ちたいのだが)、株券が電子化されるらしい。

 これに伴って最近よく目にするCMは、野村證券の桂歌丸・林家木久蔵・三遊亭楽太郎の笑点でお馴染みの3師匠が出るものと、大和証券のエビちゃんをネタに阿部サダヲやバナナマンら(あと一人の名前を失念した)がコミカルな掛け合いをするものの2つだ。

 初めに見たときからずっと感じているのだが、両社のマーケティングの対象が結構違っていてその違いが見ていて面白い。

 野村の方は、やはり大和よりもターゲットの年齢が高く、メッセージの中身も「株券電子化」の周知とその際の野村の利用の宣伝しているだけで傍目かなりスッキリといているが、大和はバリエーションが複数あり、サービス内容の説明はほぼ皆無。「ライフハーモニー」って一体何? エビちゃん起用による注目度先行で勝負をかける腹積もりらしい。ターゲット層も若者から中年層までを主といている様子。あのCMでは高齢者はよくわからないだろう。

 何となく、この好対照なCMから両社の戦略が透けて見えるところが、僕の心をくすぐったという訳だ。

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2007年2月22日 (木曜日)

PROMSを見て感じたこと

 先日、NHK教育テレビの「芸術劇場」でイギリスで行われる世界最大のクラシック音楽祭、PROMS(プロムス)の最終夜のハイライトが放送されていた。(プロムスについてはwikipediaに詳細明記。この日の曲目等についてはNHK芸術劇場公式ページ内の2007年2月18日の音楽の放送内容へ。)

 恥ずかしながらこの音楽祭のことは全く知らなかったのだが、なんと、このイベントは100を超える会場で行われるという破天荒な規模のもの。メイン会場はビートルズの歌詞にも登場するロイヤルアルバートホール。確かにこれを埋めるのは大変だと思えるほど天井も高く、広い広い会場が音楽を楽しもうという幅広い層の観客で一杯になっていた。その他の会場も映る場面があったが、そこもたくさんのエキサイトした観客で埋め尽くされていた。

 なかなか異色のクラシックコンサートだと感じた。オーケストラが演奏しているというのに、観客は立ち上がってリズムに合わせて膝を曲げ伸ばしたり、曲に合わせてラッパを鳴らしたり。このイベントは音楽を楽しもうとする気持ちさえあればいいようだ。指揮者や演奏者もこういう観客を歓迎している様子。なんというか、会場にとても強いグルーヴ感がある、素晴らしい音楽祭だ。

 

 単純に音楽だけでも楽しめたのだが、僕の心に強烈な印象と感動を与えたことがある。それがこの記事の本題だ。

 音楽祭もいよいよクライマックスというところで、やってきました、イギリスを代表する作曲家・エルガーの行進曲「威風堂々」。ちなみにこれは以前紹介したように僕の大好きな一曲。

 実はこの曲には歌詞も付いていて(詳細はwikipediaで)、観客達は演奏に合わせて「希望と栄光の国」の大合唱を始めた。続くイギリスの事実上の国歌"GOD SAVE THE QUEEN(KING)"(歌詞など詳細はやはりwikipediaで)もまた全員で大合唱。この光景が僕を刺戟した。

 「希望と栄光の国」は帝国主義華やかなりし頃に作詞されたようで、国家を称えつつも、その版図拡大を謳う部分が、現代に生きる僕には少なからざる抵抗があった。しかしながら、「希望と栄光の国」、"GOD SAVE THE QUEEN(KING)"は共に国家を称え、国王を称え、自国の安寧と栄光を願う歌詞であり、荘厳で、勇ましく、威厳をもった曲調とも相まって、僕にはいたく感動的であった。

 そこに集った様々な層の人間全員が全く素直な気持ちから「神よ女王(国王)を守りたまへ」とか「君(女王)に勝利を幸を栄光をたまはせ、御世の長からむことを」と歌っているのだ(和訳の出典はwikipediaの前述の「女王陛下万歳」〈GOD SAVE THE QUEEN(KING)〉欄)。僕は感涙してしまった。

 いやはや何ということだろう。こういったことが日本で起こりうるだろうか。確かにサッカー日本代表の試合などでサポーターが「君が代」歌っていることもある。学校行事などで歌うこともある。けれど、心から自然と湧き出るように「君が代」を歌う人がいるだろうか。その歌詞の意味を正しく理解している日本人はどれほどいようか。

 日本の皇室は現イギリス王室よりも圧倒的に長い歴史を持つにも拘らず、共にその存在は国家のシンボルであり国民統合のシンボルであるにも拘らず、日本とイギリスとの間にこれほどの違いがあって良いのだろうか。僕は悲しくてならない。最近では、天皇不要論を唱える若者や(昔からいたのだろうけれども)、天皇や皇室に最低限の敬意を払うことの出来ない人、ましてや意図的にこれを侮蔑する知識人もいる。僕は大して右派的人間ではないことをここで断っておくけれど、国家として日本を見たとき、その芯となるべきである国民の統一感が薄れてきているのは紛れもない事実ではないだろうか。

 全体主義に陥った戦前あるいは戦中の一時期の教育は恐るべき愚挙であったけれど、国民の思想教育は国家としてきわめて重要だと思う。アメリカなどは、自虐史観などほとんど見られない歴史教育、建国の偉人たちの偉業の数々、星条旗への愛着などの教育が義務教育課程で徹底的に行われていると聞く。これは北朝鮮での話ではない。かのアメリカでの話だ。思想教育というのは国家の統合には必要なことだ。「人種のるつぼ」などと評されるアメリカでは全く当然のごとくこれが不可欠で、国を思う心が国民一人一人にないとあの国は空中分解するのは目に見えている。日本も戦前・戦中の反動で思想教育やそれに準ずることが行われなくなっているが、いいかげん見直すべきである。現在、この国の将来のエリート層で、憂国の志を持つ士はもはや圧倒的に少数である。いわんや、将来の準知識階級ともいえる層も同じくである。さらに、実は歴史的に見ても国家の危急存亡のときの救国の士が準エリート、準々エリートから出ているという事実が、今の日本の実態を実に悲観視させてしまう。その意味では、愛国心をめぐる先の教育改革の方向性は全く間違っていなかった。国民に愛国心のない国に、どうして栄光があろうか。問題は技術的な側面のみだ。

 先日の私的な理想の教育プランに関する記事では、「国民をつくる」作業はもう終えていると書いたが、このコンサートを見た今、精神教育は常に必要であることを痛感している。道州制の議論の中で、教育まで全て地方に丸投げしてしまおうとする動きもあるが、これは大間違いだと思う。やはり、歴史など、国民精神教育は国家が責任をもって監督すべきで、そうでなければ、日本の行く末は暗いものになるかもしれない。

 

 「君が代」も悪くないが、もっと勇ましく歌えるような準国歌のような愛唱歌が生まれないものだろうか。他国のコンサートを見ての感動を、自国で我が身をもって感じてみたいものだ。 

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2007年2月 5日 (月曜日)

教育について考えてみた

 このブログでも教育に関する話題を結構多く取り上げていますが、僕が暫定的に考えている教育制度の理想プランを述べてみたいと思います。

  もはや日本の教育は、文部科学省による護送船団方式では失墜するばかりだと僕は思っています。現場を知らない文科省がいろいろ机上の空論を並べても、その政策が全国に浸透するのには時間が掛かりますし、浸透したところで政策そのものが誤りであれば大変な損害を未来の日本に押し付けてしまうことになりかねません。昨今のゆとり教育の問題化にしても、旧文部省が理念だけ現場に押し付けて、後の責任を丸投げしたことにそもそもの原因があるのです。結果、学校や家庭は適切な手段を講じることを怠ったり遅れたりで、子供たちにただ単に暇な時間を与えるだけのものになってしまいました。空いた時間は塾の時間になって、家庭の教育出費は増すばかりでなく、日本の教育の塾・予備校への依存度は増し、学校教育の空洞化に拍車が掛かりました。また、暇な時間に子供がすることといえば、ゲームに興じることが多く、地域との交流があるわけがありません。

 理念はご立派ですが、無策の愚挙だったと断じざるを得ません。

 国家が行う教育には、「国民をつくる」という大目標があります。それは、母国語を覚えさせたり、共通の価値観を植えつけたりということによって、国としての体をなさせることが必要だからです。明治以来、日本は中央集権的な教育によって均質的な「国民」をつくり出し、その力を結集させることによって西洋列強に肩を並べたばかりか、世界第二位の経済力を持つ国まで上り詰めました。

 もう、均質的な「国民」をつくるという目標は十分に達成されています。そして、21世紀になり、この高度情報化・ボーダレス化の時代の中では、多様性のあるオリジナリティーが求められるようになっています。もはやただ均質的に国民をつくるだけでは日本は国家として生き残ってはいけなくなっています。日本が今世界を席巻している分野を見ればお分かり頂けるでしょう。先端技術やアニメや日本食など、その独自性を世界は評価しています。

 加えて、日本は地域がその活力を取り戻さない限り、日本全体としての活力は生み出せないと僕は感じています。

 これからの日本のテーマは「総力戦」なのです。

 よって、僕は教育に関する権限・財源を地方自治体に大幅に移譲すべきであると考えます。文科省の役割は、教科書検定くらいで十分のように思います。ただし、文科省が口出しできるのは内容に学術的誤りがあったり、歴史観に不都合があったときだけに限定し、教科書のレベルに関しては口を出せないこととします。これは歴史認識等はやはり国家として統一しておくべきでしょうし、以下の論考で示されるように教科書のレベルは幅広いものでなければならないからです。

 6・3・3・4制がいいかどうかは別として、教育期間の制度は当然全国一律です。しかし、教える範囲やカリキュラム、登校日は地方ごとに異なって全く構わないと僕は思います。文科省は義務教育と高校に区切って「義務教育では最低限これだけ、高校では最低限これだけ教えなさい」という目安を示し、あとは各地域の判断で何をどれだけプラスアルファで教えるか、または教えずにほかの学習や総合的学習に向けるかを決定します。高校・大学入試は最低限度範囲からの出題にすれば、他地域への進学でもほとんど不利になることはないでしょう。

 また、地域の小学校・中学校・高校・大学の枠を超えたネットワークづくりもこの先重要です。こうした相互関係を深めていくことによって、教育に一貫性が現れます。また、これらの交流がなされることによって、様々な情報が共有されることで、地域での教育に一体感が生まれ、既存の枠を超えた様々な取り組みに弾みがつくでしょう。

 教育機関同士のネットワークだけでなく、地域企業や地域社会と学校とのコラボレーションも地域力の醸成には欠かせません。

 地域が生き残っていくために必要な人材は、やはり地域が生み出さなくてはなりません。また、地域全体が教育に関わることで、地域に連帯感が生まれ、最近問題となっているいじめや親の問題も少しは解消するのではなかろうかと思います。

 地域に根ざし、いたるところにネットワークを張り巡らすことによって、地域総がかりで教育に取り組み、その結果として地域に活力が還元される。これこそが日本の21世紀の教育に必要な考え方ではないでしょうか。

 そして、各地域で独自教育を施すことによって、地域に差異が生まれます。これを格差と思っては元も子もありません。これは「個性」です。もしこれが地域にとって好ましからざるものならば、他の地域を参考にしつつ調整すればよいのです。こうして、悪い取り組みは改善され、よい取り組みだけが残ることになれば、結果としての日本の人材に多様性が生まれ、国力は増強すると僕は信じています。これはいわば、国家を挙げた壮大な実験なのです。

 

 しかし、これを実行するには少なくとも5~10年の準備期間が必要でしょう。

 まずは、地域の教育委員会を大幅に増員するとともに、実行力のある実務部隊に編成しなおす必要があります。また、教育委員会と現場や地域との風通しをよくする策が必要です。ミニ文科省が乱立したのでは意味がありませんから。小回りの利くスピード感のある組織が必要です。

 具体的に教育プランを練る必要もありますし、学校ごとのシラバスを仕込まなければなりません。地域間の根回しや関係構築も必要です。 

 また、地域住民はこれらの動向に積極的にコミットしなければ、真の成功はありえません。

 何かと混乱が生じそうなプランではありますが、教育に風穴を開けてくれるのは確かです。皆さんはどう思われましたか。

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2006年12月26日 (火曜日)

政府税調会長後任に香西泰氏

 本間前会長の後任に、旧経済企画庁出身のエコノミスト香西泰氏を起用することが決定した。塩崎官房長官を中心に官邸主導で進めたそうだ。安倍総理とも親交がある人物らしく、身近な人物をトップに据えた格好だ。

 香西氏は経済成長を重視する考えを表明したという。この点では本間前会長と同じ路線の人物のようだ。

 一応の決着はこれで着いたが、安倍総理にはスピーディーな経済政策運営を期待する。反対勢力も「任命責任」など、程度の低い批判は時間の無駄なので避けて欲しい。

 東大教授の伊藤元重氏で決まりだというふうに聞いていたので、この意外な決定には驚いているし、香西氏のことは全然存じ上げないのでニュースを見て戸惑ってしまった。伊藤教授の著書のミクロ経済学の本やマクロ経済学の本にはお世話になっているので、親近感を持っていただけにちょっと残念だ。ただ、東大生のブログを見たところ、教授の専門は国際経済学なので、「税制は専門外だけど大丈夫?」と心配されていて確かにそうだなと思ったり、「ただでさえTV出演や執筆活動で忙しいのにこれ以上忙しくなったら僕らの授業はどうなるの?」という切実な声もあって面白かった。

 とにかくこれからどうなっていくのか見守りたい。

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2006年12月25日 (月曜日)

国公立大授業料免除枠4600人拡大

 政府・与党は来年度、国公立大学などの授業料免除の対象枠を4600人拡大するそうです。内訳は、学部生900人、大学院生3500人、高等専門学校生200人強。

 僕は非常に善いことだと思いますね。国公立大の授業料は当然私立より割安なものの、かつてに比べたらかなり上がっていますし、日本学生支援機構の奨学金は「奨学金」という名のローンなので、もらっていてもさほど嬉しくありませんから。優秀ながら資金が乏しい学生にとっては朗報でしょう。

 安倍政権になって、やっと共感できる政策を見つけました。

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2006年12月24日 (日曜日)

松下がビクターを売却

 新聞を見てビックリしました。松下電器産業が子会社の日本ビクター株を売却する方向で本格検討しているそうで。あの家庭用VTR戦争で大活躍したビクターをいよいよ切り離すときが来たんですね・・・。何となく一時代の終焉という感がします。

 現在松下の保有するビクター株は全体の52.4%で、そのうち最大で全株、少なくとも半分を売却するといわれています。

 松下は売却先としてケンウッドと交渉しているようですが、両社を比較すると、

時価総額: ビクター 1494億円    ケンウッド 753億円

売上高: ビクター 8068億円    ケンウッド 1836億円

資本金: ビクター 341億1,500万円   ケンウッド 110億5900万円

と、明らかにケンウッドの規模が小さい事がわかります。未開拓分野進出を狙っているのはわかりますが、まだ回復の道筋をつけきれていないビクターを背負うのはちょっと無理があるのではなかろうか、などと素人ながら心配してしまいます。共倒れにならないだろうかなんて・・・。

 自主独立経営にこだわるビクターは投資ファンドのサーベラスと組んで、MBO方式による株式取得を目指し動いているとか。でも経済産業省が今月、軍事転用技術の流出防止を強化する狙いで外国企業による日本企業買収の際に、届け出対象となる業種を拡大する方針を決め、これが逆風となるようで。それと、海外にビクターの技術が流出すると、国内メーカーも困るそうですし・・・。業界の再編が加速するという観測もなされています。

 

 いずれにしても、波瀾の展開が予想されます・・・。

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2006年12月22日 (金曜日)

政府税調本間会長辞任で思うこと

 政府税制調査会の本間正明会長(大阪大教授)が21日、辞任した。批判が相次いでいたから、事実上更迭との見方もされている。

 ニュースを見ていると、この問題の取り上げ方があまりにもスキャンダラスで幼稚なものに感じてしまって、中にはそのあまりの下らなさに辟易することもある。

 今、安倍政権は成長による増収を目標に動いている。これと対立しているのが増収には増税が不可欠という考え方だ。本間教授は成長路線派で、安倍総理がそれまでの会長だった増税派の石氏と入れ替えて、改革の推進力として会長に抜擢した経緯がある。このことはマスコミもやっていた。

 本間会長という存在の意義を知っていながら、安易に批判的な報道をして政局に混乱をもたらすマスコミのやり方に僕は強い疑問をもった。なぜ職責を全うして成長路線による増収に道筋をつけてから辞めろと言わないのだろう。僕の見た限りでは「辞めるな」または「辞めるべきでない」などといっている局は1局もなかった。1局くらいそんなところがあってもいいのにと感じた。どこの局も批判的ムードだった。マスコミ各社は増税に賛成なのだろうか。それならば別に構わないが。だが実際に増税になった時、マスコミは「また家計に負担です」「これから大変ですね」などというのはわかっている。所詮は大衆受けが良ければそれでいいということだろうか。

 そうはいっても、本間会長の脇が甘ったのがそもそもの原因ではある。虎視眈々と機会を伺っている反対勢力に隙を見せたのはいただけない。安倍総理に多大に期待されていたのだから、言行には細心の注意を払ってしかるべきだったのに。

 本間会長のことは、長いこと政府の経済財政諮問会議のメンバーだったことぐらいしか知らないので何ともいえないが、仮にここに有能な人物がいたとして、この人のプライベートの世間体が良くなくても、しっかりと仕事を果たしてくれるならば、この人物を続投させるだろうか。おそらく日本という国は多くの場合、「名を捨て実を取る」ことはせずに「実を捨て名を取る」社会なのだろうなぁとも思いながら短絡的な報道を見ている今日この頃である。本当にそれが国民にとってベストなのだろうか。

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2006年12月21日 (木曜日)

マスコミについて

 こちらの記事に関してRig様から以下のコメントが寄せられました。

おひさしぶりです。先日は詳細なコメントを頂きとても嬉しかったです。

 今回の問題について私は全く無知なので多くは言えませんが、一点申し上げたいと思ったことが有りました。それは「重要法案の国民への公表」のやり方についてです。
 現代の日本では、マスコミが世論を形成するのに重要な役割を果たしていると言われます。今回の安倍総理の「伏兵」作戦とも言われかねないやり方では自民党の公表のやり方も問われるべきですが、私はむしろ世論形成の一端を担うマスコミこそ責任を問われるべきだと思います。情報の取捨選択や、積極的情報入手などが必要とされる時代ではありますが、マスコミにはそれを積極的に国民に知らせていこうという姿勢が必要なように思えます。自民党に食い下がればこのことを隠してはおけなかったことでしょうし、これを情報社会の先端にいた人々は知っていただろうと思います。もしかすると、そのような人々が何らかの利害で敢えて広く伝えようとしなかったのでは、と邪推してしまいます。私は自民党にもマスコミ、というよりも日本のジャーナリズムに少し不信感を抱いています。

 

 僕は早速コメントの返事を書いたのですが、思いのほか長い文章になってしまったので、ここに記事として掲載します。後から読み返してみると、勢いに任せて書いたためかRig様のコメントの趣旨とはかなりずれてしまったかもしれませんが、そこは御容赦願います。

 

 久しぶりのコメントありがとうございます。最近なかなかコメントをお寄せ下さる方がいらっしゃらないので寂しかったところです。
 
 マスコミのことに興味がおありでしたら、お暇なときにそういったことに関する書籍を読んでみてはいかがでしょう。僕が先日ブログ内でご紹介した「メディア危機」でもいいかもしれません。

 テレビに限っていえば、テレビ局は視聴率が取れるような内容・レベルで報道しますから、報道がとても感情的なものであったり、情報が偏ったりすることは常に有り得る事です。現に国民受けが良かったり、当たり障りがないものの報道が横行しています。しかしそれは我々国民に合わせて作られているわけですから、結局のところテレビ報道がおかしくなるのも国民の責任によるところが大きいのではないでしょうか(何か陰で圧力が加えられているときは勿論別ですよ)。どこのテレビ局も同じような内容を同じような切り口で報道しているのを見ればそれもお分かりになると思います。余談ですが、アメリカのテレビ界はケーブル放送なので、数多くのテレビ局が乱立し争っていて、ある層をピンポイントに狙った独自性のある報道が比較的しやすいというのをどこかで読んだ記憶があります。まあ、あの国の報道も問題が色々あると思いますが。この間のイラク戦争がいい例です。

 それから、テレビは新聞とは違って、視覚・聴覚に対し大量の情報を一方的に送りつけてくるため、見る人に情報に関して熟慮する暇をあたえず、そのまま鵜呑みにさせてしまうことも大きな問題でしょう。そういう意味では新聞の方が情報を消費する側にとっては比較的安全といえると思います。自分のペースで読めますから。しかし、最近では若者の新聞離れが進んでいます(今週授業でやりました)。ですから、いわば準知識階級の卵みたいな人たちや、低知識層の主たる情報源はテレビやインターネットということになります。インターネットも、新聞に比べて情報を探すことがおっくうであるため、実際に知る情報は限られてきますよね。自分の興味のある範囲だけ少し見てみるだけとか。だからインターネットも一概に良いとは言えません。その上、最近ではニュースを見ない人すら増えているといいます。(そういえば、僕が高3の頃、同じ文系アッパークラスに「派閥」を知らない人がいて、開いた口がふさがらないほど驚愕したことを思い出します。)

 基礎知識が欠けている人が増えたとき、でたらめな論理を報道することで世論を誘導することはいとも簡単でありましょう。マスコミが危機というよりも、国民サイドが危機的水準に達しつつあるのかもしれません。

 そういえば、先週の放送大学で、欧米では教育現場で積極的にメディア・リテラシーを教えているというのをやっていました。調査結果によると、日本の子供達はテレビ世界と現実をごっちゃにしているそうです(バラエティーに出てくるキャラクターが現実に実在するなどなど)。これは日本人がテレビ創成期からテレビをポジティブに受け入れてきたからだそうです。「テレビを疑わない」これが日本人の幼い頃からの姿勢になっているのです。これに対して、これからの教育で必要となってくるのは「まずは疑ってかかれ」という姿勢のメディア・リテラシー教育です。まだまだ教材やカリキュラムなどができていないそうで、研究途上なのですが、テレビ以外のメディアに接するときでも必ず必要なスキルであることは間違いありません。 

 とにかく、マスコミが変わるためには国民が変わる必要があるというのが今のところの僕の見解です。クオリティーの高い報道を求める声が大多数ならば、その声に応えて何らかの形で実現してくれる団体・企業も出てくることでしょう。最近の動きを例にとれば、「オー・マイ・ニュース」の取り組みが挙げられると思います。僕は見ていませんが。でもそういった試みは歓迎しています。もっともっとマス・メディアが真剣に取り組んでくれるように我々もレベルアップしていきましょう。

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2006年12月20日 (水曜日)

ワーキングプアⅡの再放送

 昨日の夜、NHKで「ワーキングプアⅡ」の再放送をやっていたので見てみた。

 とても暗い気持ちになってしまった。真面目に働いているのに報われていない人々の実態が克明に記録されていた。年金を受け取ることもできず、子供からの援助もほとんどなく、空き缶を拾って食いつないでいる老夫婦。父親が病気で仕事を失ったため、専門学校への進学を諦め、安い時給での長時間労働を余儀なくされている若い女性・・・。少子高齢化が進んでゆく我が国の未来はどのようなものになってゆくだろうか。

 何故に年老いたお年寄りに明日のご飯の心配をさせなければならないのだろう。核家族化が進み、日本の家族は一家としての連帯感を失ってしまった。社会福祉どうこうと言う前に、まずは子供が親を支えなければならないのではなかろうか。

 何故に若者が明日に希望を持てない日々を送らねばならないのだろうか。これからの社会を支えていかなければならない若者たちが、なかなか社会の主役になれないでいる。

 全ての人に最低限のハッピーを分け与えた上での競争社会が望ましいことは誰でも分かっている。それがなかなか実現しないのは、我々がこの問題を真面目に取り組んでいないからなのか、それとも英断を下す人物が現れていないからなのか、はたまた日本の実力ではそれが無理だからなのだろうか・・・。もしかしたら個人主義に走ってきた日本社会の変革が必要なのかもしれない。

 とにもかくにも、急速な少子高齢化という世界的にも類を見ない特殊な状況下にある日本は、実験的な政策を打ち出していく勇気と決断力とスピードが必要になっているのは確かだ。

 僕も何かの分野で日本の為に働くことができれば本望だ。

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2006年12月15日 (金曜日)

安倍総理とは感性が合わない

 安倍総理、就任から3ヶ月ほど経ったが、やることがどれも僕の考えと一致しないし、安倍総理も国民に向けてメッセージを送りきれていないと思う。何か意思疎通不足の感が否めない。僕以外の国民の皆さんもそれを感じているのかどうかわからないが、内閣支持率急落しているという。決め手は郵政造反組復党だったようだ。

 やらせ問題は前内閣の問題だから特にどうとは思わないが、教育基本法改正問題や防衛庁の省への昇格問題は国の根幹に関わる問題であるのに、国民的議論もなされず、選挙での審判もなく、総理自身からの何か明確で強いメッセージも聞かれず、国会でのい議論も十分とは言い難いと思える中、成立する見通しだ。

 国民は安倍政権が早期に決着を付けようとし、その上国民への説明を怠っていることに不満を募らせ続けている。僕も最近何となく政治にストレスを感じている。安倍総理はその辺がわかっているのだろうか。

 僕は自民党が何か重大な勘違いをしているように思えてならない。調べてみたところ、教育基本法改正に関しては昨年の衆院選での政権公約に明記されていたため、ある意味この時点で国民のゴーサインが出ていたと見てもいいのかもしれない。しかし、防衛庁の省昇格は国民はイエスともノーともまだ言っていないはず。それをこうもあっさりと省にしてしまうのはどうだろう。しかも事前の説明があまりにも簡素すぎはしないだろうか。本当に国民の民意を負託されているという自覚があるのか、僕にはよくわからなくなってきている。

 さらに、安倍総理は今日菅総務大臣に対してまたもや僕とは感性のズレがある指示を出した。以下ヤフーニュースより引用(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061215-00000087-jij-pol)。

自治体の綱紀粛正指示=給与削減努力も―首相が総務相に

12月15日13時2分配信 時事通信

 安倍晋三首相は15日の閣議後に菅義偉総務相と会い、不祥事が相次いでいる地方自治体の綱紀粛正と、地方公務員給与の削減に努力するよう指示した。
 総務相によると、安倍首相は地方公務員給与が民間賃金より高いとして、「水準を引き下げるための構造改革に全力を挙げてほしい」と改めて指示し、「そうした行革努力をしたところは、しっかりと応援する」との考えを伝えた。総務相は閣議後の記者会見で「(自治体の行革指針である)集中改革プランを、まず徹底させる」と述べた。《引用終わり》

 民間と比較すること自体はまだいいとして、問題はどのレベルの民間給与を対象にするかだ。僕は地方公務員の給与が高すぎるとは全く思えない。詳しい考察は過去にしたのでここで多くを述べることはしない。(詳しくは→コチラで) 簡単に述べると、彼らはいわば限られたパイの中に入ることを許された勝者であるべきなのだ。そして彼らはその為に努力して試験を受けるのだ。公務員となった後で怠け果てている一部の不届き者はどうなろうと知ったことではないが、大部分の人たちはずっと真面目に働いている。中には民のために働きすぎている人もいる。給与を安易に下げたり、保障が縮小されれば、どうなるだろうか。公務員の質が一気に下がることだろう。今でさえ公務員の問題が数々騒がれているのだから、もっと増えたとしても全く不思議ではない。公共サービスも低下することが懸念される。それは果たして、国民のためになるのだろうか。マスコミの人間は公務員が憎いのか、そこまで頭が回っていないのか、公務員給与削減に反対しているのを見たことがない。マスコミに流されるわけにはいかない。僕は強く反対を表明する。

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2006年12月14日 (木曜日)

地球温暖化をどうにかしないと

 これまたヤフーニュースより引用(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061212-00000419-reu-int)。

北極の氷、2040年には無くなる可能性=米研究者

12月12日20時1分配信 ロイター

[サンフランシスコ 11日 ロイター] 地球温暖化により、北極の氷が早ければ2040年の夏にも溶けて無くなる可能性があるという研究結果が明らかになった。米国の研究チームが12日付の学術誌「Geophysical Research Letters」で発表する。
 米コロラド大学にある国立雪氷データセンター(NSIDC)のマーク・セレズ氏は、地球温暖化の影響が深刻になりつつあると指摘。また国立大気研究所(NCAR)のマリカ・ホランド氏は、温暖化によって北極の氷が遅いペースながら着実に減っていき、向こう20年以内に劇的な「転換点」を迎えるとの予想を示した。
 研究によると、北極海の氷が縮小する速度がこの20年のうちにこれまでの4倍にまで速まるおそれが確認されたとしている。また、スーパーコンピューターを使った試算では、最短で2040年夏には北極点の氷さえ溶けてしまう可能性が示された。《引用終わり》

 海上にプカプカ浮いているだけの北極の氷が溶けても、氷の体積は水より大きいので海面上昇にはあまり影響を及ぼさないと思いますが(あくまで中学理科知識レベルでの僕の考察です。文系学生なので正しいかは判りません)、北極地域の生態系に多大な影響が出ることは間違いないでしょう。人間というたった一種の生物によって、数限りない生物が絶滅したり、減少したりしているこの状況は許されることなのかと小さい頃から強い疑念を持っていました。人間はあまりにも横柄な生物ではあるまいかと。

 そうはいっても、地球温暖化は人類にとっても頭の痛い問題です。ごく一般的に言われているところでは、例えば日本では、気候の変化によって熱帯の感染症が広まる恐れがありますし、世界的に見れば海面上昇によって国土を多く失ってしまう国も出てきます(国全体が海に沈む国だってあります)。人類の安寧にとっても、この問題は世界中が気に留めておかなければなりません。

 我々庶民も、小さな所からコツコツと節電等の省エネに励んでいきましょう。

 クリスマスシーズンで思うのは、ライトアップだとかイルミネーションだとかが毎年派手にやっているところが少なくありませんが、そういう所はもう少し控えめにしてもいいように思ってしまいます。

 それにしても、エネルギー消費大国であるアメリカの協力なくしてはどうも立ち行かないですよね。依然としてアメリカは京都議定書から離脱したままですし、テキサス出身の大統領はこの問題に積極的になれないようで・・・。環境対策を積極的に訴えたシュワルツェネッガー氏がカリフォルニア州知事に再選されるなど、市民レベルでの関心は決して低くはないようなのですが。この研究結果を発表したのもアメリカ人ですし。でも過去に当ブログで紹介したようにまだ日常的な省エネ意識が低い人たちも少なくないようです。大国としての責任も持ってほしいと思います。

 さらに、これからは中国がエネルギーをガパガパ使うようになるでしょう。省エネ技術が未熟な上に、省エネ意識すらもまだまだ欠けているのが中国の実態です。先行きは暗いです。中国だけではなく発展途上国も勘定に入れれば、もう我々の未来に希望の光は差し込んでこないように思えてなりません。

 21世紀が予想より少しでもいい世紀でありますように。僕にはただただ祈ることしかできません・・・。

 最後に。温室効果ガスが果たして本当に地球温暖化に関係があるのかという議論もあるようなのですが、いずれにしろ省エネをしてエネルギーをありがたく思いながら大事に使っていくことは重要ですよね。

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2006年12月 5日 (火曜日)

郵政造反組11名復党

 とうとうこうなってしまいましたね。僕がこれに関してどう思っているかは過去の記事で述べていますので、ここでは触れないとして、今後の安倍政権がどうゆう舵取りをしてゆくのか、慎重に見守りたいと思います。さて、来年の参議院選はどうなるか・・・。今から楽しみです。あ、思えば来年からは有権者です! どこに入れようか今から考えたいと思います。でも、本籍は長崎に残しているので、投票できないかもしれません。

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2006年11月28日 (火曜日)

郵政造反組復党は許せるか

 「国民に聞いてみたい。」 そう言って小泉純一郎前総理が衆議院を解散させ、結果自民党が大勝したのも、たった1年前の話であります。

 郵政民営化法案に反対した自民党議員は除名処分を受け、それでもなお、無所属立候補し民営化に反対して当選した議員は12名いましたが、この程、平沼議員を除く11名は復党確実となったようです。

 自民党は「復党願」とともに「誓約書」も提出させることで、一定程度のけじめをつけたつもりです。

 果たして、これは許されることでしょうか。安倍晋三総理総裁の勇み足ではないでしょうか。

 そもそも、先の衆議院議員選挙で当選したいわゆる「造反組」議員たちは、立候補時点では「無所属」で「郵政民営化法案反対」の立場だったはずです。選挙民もそんな彼らに一票を投じたわけであって、それを今更、政治資金が枯渇寸前という理由で、そうした立場をあっさりと捨て去って自民党に復党するというのは、有権者への冒涜ではないでしょうか。それ以前に、当選後の衆議院で郵政民営化に賛成票を投じている時点で冒涜ですが。こうした事が罷り通る国で、本当に政策本位の政治が実現するのか甚だ疑問に感じます。この様子だと、そんな国になれるのはまだまだ先のことのようです。

 大体、無所属になれば政治資金が足りなくなるというのは、立候補する前に既にわかっていたことのはずです。それにも拘らず立候補するとは、あらかじめこうなる事を予期していたことが透けて見えます。政治資金面に問題があるなら、はじめから選挙に出なければよかったのです。愚かしくも立候補して当選した後に古巣に泣きを入れるとは情けないことこの上ありません。

 「造反」議員個人の身勝手な振る舞いによって、有権者との契約は破綻しています。彼らに投票した有権者は、彼ら個人への支持ももちろんあるでしょうが、自民党政治に疑問をもっていたり、郵政民営化に反対だったから彼らに票を与えたのです。今回の件はこうした声を無視するものであります。

 現段階では、統一会派に合流する程度で留めるべきです。郵政民営化以外の政策は、本来自民党と同じ方向なのだろうし、有能な人物というのが埋もれたままなのもったいない話ではあります。しかし、少なくとも、有権者との契約更新となる次の衆議院議員選挙までは、復党すべきではありません。

 しかし、「誓約書」を書かせた中川秀直自民党幹事長に対して、自民党内から厳しすぎるという声もあるようですが、僕はこうした声をあげて復党を歓迎する人達の感覚が容易に理解できません。除名処分というのも、自民党の党紀委員会で厳正に決定されたもののはずです。それを約1年で党紀委員会自身が自らの決定を覆すとは、自民党の党紀というのはそれほどお粗末なものでしょうか。国民から手痛いしっぺ返しを受けても後の祭りです。

 国民サイドも、こうした動きがおかしいと感じるなら、真っ向から反対して見せるべきです。そうでないと、いつまで経っても国民本位の政治が実現することはないでしょう。有権者は政治家達に見くびられていることに気づかなければなりません。これは我々が我々国民による国を手にするための闘いの一部なのです。

 皆さんはどのようにお感じになっていますか?

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2006年11月17日 (金曜日)

教育基本法をこのまま通していいのか?

 僕がテスト勉強をだらだらとやっている間に、教育基本法改正案が野党欠席の衆院本会議を通過しました。

 安倍首相の実績を早くつくりたい与党は、議論は尽くしたとして与党単独で採決に踏み切ったということですが、本当にこのぐらいの議論で済む問題なのか強く疑問に思っています。

 何となくですが、国民サイドも冷ややかに見つめている感じがします。あまり自分と関係のない大人にはどうでもいい問題なのでしょうか・・・。

 教育とは次世代の日本人を育てるためのものであるはず。真剣に考えたい問題であるのは明白です。完全に自民党案で賛成なら構いませんが、反対なら反対で何か行動を起こすべきのような気がします。世論調査の結果を見て与党は動いたようですが、我々国民は本当にこの問題を我がこととして検討したのでしょうか。教育基本法改正問題自体より、何となく国民が政治に対して無気力のような気がして心配です。

 僕自身は、「我が国と郷土を愛する態度を養う」という文言に関して賛成と反対の気持ちが半々ぐらいです。確かに現在の日本には規範意識が欠如してきているとは思いますが、愛せよといって無理やりその気持ちに誘導させてしまうような気もします。これは今後の日本を無意味に暴走させてしまう可能性を秘めています。今の日本には自分の国を愛していない若者も大勢いると思います。でもそれは大人達や自分と同世代の人間が積み上げてきた負の部分に対する嫌悪の念から来ていると僕は思います。これは自分たちの力ではどうしても改善しきれないと感じているからです。問題なのは、自然と愛せるような祖国や郷土にいていくこと。そして、国民が「自らの手で己の愛せる祖国・郷土にしていくのだ」という気概を持つことだと僕は考えています。今の改正案では現状の日本をそのまま受け入れよと言っているようにも取れるので、果たして当初の狙いが達成されるのか、あるいは余計悪い事態に陥らないか不安が残ります。

 このまま参議院で可決させてもよいのでしょうか・・・。皆さんはどう考えますか?

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2006年11月13日 (月曜日)

核保有論議についての追記

 こちらのコメント欄をご覧ください。

 

<告知>今週の金曜日にフランス語のテストが控えておりますので、新規記事の更新はテスト終了まで中断しようと思います。ご了解ください。コメント・トラックバックの承認は平常通り行うつもりです。

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2006年11月 8日 (水曜日)

核保有論議が封殺されてしまうのはいかがなものか

 自民党の中川政調会長や麻生外務大臣が核保有議論の必要性を主張したにもかかわらず、この議論はなされることなく封殺されてしまう模様だ。本当にそれでよいのだろうか。

 僕は必要に応じて核を持ってもかまわないと思っている。それは日本にとって技術的に難しいことではないし、中古品を手に入れる事だって可能だ。しかし、現在の情勢や、日本人のその場の空気に流されてしまう気質を考え合わせれば、核を持つということは、外交上マイナスにもなりかねず、核兵器の実際上の使用の危険性もあるため、今はその時期ではないだろう。それに加えて核兵器は実際には使用できない代物である事も考慮する必要があるだろう。

 さりながら、議論まで封殺されてしまうのは大変な問題である。

 現下の状況では、北朝鮮の核という新たな脅威が現れている。この暴挙は国家の存亡にとって一大事でなければ何なのだろう。例えるなら、町内の暴力団がマシンガンを手に入れた上、保有宣言までしてしまったようなものだ。この機に臨んでなお論議すら許さぬという風潮なり政治家の発言なりは、一体何を考えているのやら理解に苦しむ。我が国の安全保障を今一度早急に考え直す必要性を感じていないのだろうか。

 論議というのは、別に核を持つということを決めるためものではない。論議の結果、非核三原則の遵守という結論に辿り着くならそれでいい。今求められているのは新たなるコンセンサスだ。持つのか、このまま持たないのか。アメリカの核の傘に入ったままでいいのか、そうでないのか。核はこの国にとってプラスか、マイナスか。このような事を、国民的議論の俎上にあげる時期が来たのだと思う。

 思えば、我々はこのようなことを1度も国民的レベルで議論したことがないのではなかろうか。こんな風にして安全保障政策が勝手に決められていたのではたまったものではない。今現在、核保有論者が日本国内に増えている気がする。このような時に、いつまでも非核三原則を国是といって聖域扱いするような国は、先行きが思いやられる。マスコミの取り上げ方も中途半端でうんざりしてくる。こんなときに頼りないから信頼できない。

 個人的には、議論をするだけでも、相手国に対する牽制になるので日本の安全保障上はプラスに働くだろうと思う。心の中では持つ気が全くなくても、その用意があって、やる気になれば持てるということを見せるだけでもだいぶ違うと思うのだが。

 ただし実際の議論の上では、広島・長崎の惨劇を認識し核兵器が如何に非人道的であるかという一応の理解も不可欠であって、それがなくてただ闇雲に主張しあうのは愚かなことだとも思う。

 読者の皆さんはいかがお考えだろうか。多角的な議論を望んでいるので、コメント等は大歓迎です。

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2006年11月 2日 (木曜日)

教育基本法改正問題についての小考

 当ブログの10月27日付けの記事に対するRig様の久々のコメントに対して、返答のコメントを書いたところ、かなり長いものになってしまいましたので、ここで独立した記事として掲載します。

 Rig様の仰るとおり、なぜこの時期に未履修問題が発覚したのかは考えてみる必要があるかもしれません。安部政権をアシストするという意図も感じられないわけではありません。しかし、今の段階では何とも言いようがありません。そのため、報道するマスコミに問うてみるしかないとコメントしたわけです。
 
 憲法とは、国を縛る約束です。国家権力の暴走を食い止めるためのものですね。教育基本法も、公的教育の原則を定めるものですから、あなたの仰るように憲法に近い性質を持つともいえるでしょう。

 あなたは今これが愛国心を重視した物に改正される動きがあることに関して、軍国主義の再来の予兆だと思われているようですが、それは少しオーバーなのではないでしょうか。仮に再来したとしても、かつてのようにひどくはないと思いますが。 

 なぜかというと、現在日本という国は「軍」を持っていませんし、自衛隊は文民統制の制度が確立しています。それに第2次世界大戦後、国民は戦争アレルギーを抱えています。教育基本法が改正されたからといって、軍国主義に傾いていくというのは少し論理の飛躍があるような気がします。僕としては、教育基本法よりも、日本の脆弱なマスコミの方が心配です。今の日本のジャーナリズムは非常にまずいと思いませんか。

 さらにいえば、今の日本人にはどこか「個人主義」がはびこっていて、全体への奉仕の心が薄れつつような気がします。もっとも、この「個人主義」とは、欧米の個人主義とは違うものであると思いますが。欧米の個人主義はその根底に相手へのリスペクトがあり、その上に個人の自由が成立しています。日本の「個人主義」は、「自分さえよければあとはどうでもいい」主義。こんな状況下にいることを感じているのは僕だけでしょうか。これを変えていくため、過激にならない範囲で国や地域への愛を持たせるのはそんなに悪いことではないと思えます。まあ、愛というのは押し付けられるものではありませんから、「日本人の一員として、自分が愛せる国や郷土を自らの手でつくり、育んでいく責任と気概を持て」ぐらいの意味合いであればいいのではないでしょうか。

 そもそも、公的教育とは「国民」をつくるためにもあるのです。同じ言葉や価値観や考え方、日本人とは何かを学ぶことで、国民全体に一体感を持たせる役割があります。たとえ、顔かたちがほとんど同じ2人の人間がいたとしても、前述の要素が全く違えば、お互いを分かり合うことは難しく、お互いを「同じ範疇の人間だ」とは思えないでしょう。このような性質を持つ教育だからこそ、国民性を変える力も持っているといえます。この力を正しく活用することで、日本がもっとよい国になれるでしょう。
 
 こうした意味で、教育基本法は非常にデリケートな法律です。僕は今の改正の方向性は間違ってはいないと思いますが、現行の基本法には道徳に関する記述がないため、今回の改正で新たに「愛国心」の記述をすることに強い反発の声もあります。法律の性質自体が変わってしまうのは、僕も少しそれでいいのかなと思いはしますが、慎重に議論を重ねた上で力を正しく使えるような形で決着できれば、それでいいと考えます。

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2006年10月31日 (火曜日)

安倍さんには追い風?

 最近の北朝鮮情勢はもちろんのこと、履修不足問題も安倍政権には追い風になっているように感じる。

 安倍さんはラッキーなのか、それとも時代が彼を必要としているのだろうか。

 小泉さんも強運のも持ち主だったが、安倍さんもそれに勝ると劣らないといった感じだ。

 しかし、山積する問題、そして安倍さんが敢えて取り組むといっている課題はいずれも難問ばかりで、ここで点数を稼いで国民の支持を狙うというのは、政権崩壊の危険もはらんだ諸刃の剣である。

 果たして、安倍総理の国づくりはどうなっていくのだろうか・・・。我々は尚一層政治を直視していかなければならない。

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2006年10月28日 (土曜日)

長崎コメ大不作

 今年は九州北部を中心に歴史的な大不作らしい。一番ひどいのは佐賀県で、平年の半分程度しか取れていない。わが長崎県の作況指数(平年作=100)は今月15日の時点で「68」ということだ。これは記録が残る1947年以降最悪の水準だそうだ。

 今年は、長梅雨による日照不足+台風+台風に伴う塩害+台風後の雨不足と不作要因が重なった。

 遠い我が家の食卓はどうなるのか多少心配だ。

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2006年10月27日 (金曜日)

高校の履修不足問題に見る日本の高校教育

 高校3年生にとっては人生の一大事であるセンター試験まで、あと3ヶ月程になった今になって、彼らにとってとんでもない事態が各地で起きている。

 事の発端は富山県の進学校だったと思うが、地歴2科目が卒業に必要な単位であるところを、1科目しか授業をしていなかったとのこと。さらにはその履修不足を隠蔽していたというのでマスコミがこぞって取り上げた。これがきっかけとなって、全国各地で履修不足の高校が明らかになっている。

 そもそも、なぜこの学校は1科目しか教えていなかったのか。答えは簡単だ。大学受験には世界史・日本史・地理のうち、1科目しか必要ではないからだ。地歴が2科目必要な大学は稀で、最高学府と呼ばれる東京の某大学と、それと双璧をなすといわれる京都の某国立大学くらいだと記憶している(東京の方は、文系の受験においてセンター試験で1科目、2次試験で2科目必要、京都の方は、センター試験と2次試験を異なる地歴科目で1科目ずつ受けねばならない)。3年間という限られた時間で結果を残したい高校生にとっては、受験に必要のない科目をわざわざ履修することは無駄にしか感じられないだろう。

 僕の高校時代のことを思い出してみる。

 高校1年生の頃、地歴は世界史が必修で、地理と日本史のどちらかを選択させられた。僕は日本史を選択。1年生では、世界史A(世界史の概説)と日本史A(幕末以降の日本史)という科目を履修した。しかし、実際は、世界史Aの授業では世界史Aの内容を習わなかった。他の地歴教科においてもいえる事だが、一定程度以上の大学を受けようと思うならば、Aの範囲では全くもって不足なのである。詳説であるBの内容を学習する必要がある。そこで、世界史Aの授業では、先生が世界史Bの教科書のコピーを配り、世界史Bの内容を教わった。1年からBの範囲をやっておかないと、受験の頃までに授業の進度が間に合わないというふうに担当教師から説明を受けた。日本史AはAの内容だったが。

 高校2年生になると、地歴は1科目に絞って履修しなければならなかった。僕は好きな日本史を選択し、世界史の授業は受けなくなった。日本史は日本史Bとなり、Bの範囲(縄文時代~現代)を頭から習い始めた。

 ここまで読んでいただければ、僕が地歴の学習でどれほど回り道をしているかお分かりのことと思う。世界史は最初の方から詳しくやっていたので、1年間で習った範囲は西暦1000年までぐらいだっただろうか。これが3年間で習った「世界史」である。直近の1000年間のことを全く触れずに終わってしまった。日本史においても、3年生になると、日本史Bの明治時代以降に授業が入り、結局1年生の時に習ったことよりも詳しい内容なので、1年生の履修は無駄だったような気がしてならない。

 結論としては、日本の教育制度は根本の設計段階で誤っているとしか思えない。

 歪んだ制度の下で、今の若者たちは学んでいるのである。

 さらにいえば、大学受験を考えている高校生にとっては、受験に必要のない教科をやりたくないのは当然である。大人たちがどう思おうと、このことを無視しては先へは進めない。こういう若者は、一般的に、受験に不必要な教科に対しては単位さえもらえればよいと思っているから、受験に必要な科目に比べて、取り組みが甘い。だからあまり身に付かないで終わる。教えること自体が無意味に近い。学力低下云々、教養云々と言いたいのであれば、大学受験科目を増やせばよいのだ。今回の問題にしても、世界史ともう一科目の地歴科目が必修なのだから、大学受験を地歴2科目(世界史は必須)が要るようにすれば万事丸く収まるではないか。

 ここまで話を進めてきたが、世界史が必修で日本史は選択のままでよいというふうに、現在の制度を肯定するつもりもない。教育問題が政治問題化してきた今、このことをより議論して、現行制度の悪しき部分は早く改善してほしい。教育は国の根幹である。公教育が日本国民をつくるのだから。

 最後に。僕は高校時代、受験に関係ない教科でも、好成績獲得のために勉強をそれなりに頑張りました。結局選択しなかった世界史も学年トップになったことだってあります。僕の人格に関して勘違いなさいませんよう、お願いいたします。

 

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2006年10月24日 (火曜日)

やっぱりソフトバンクが仕掛けた

 今日から携帯電話のナンバーポータビリティー制度がスタートしますが、その直前になって予想通りソフトバンクがやってくれました。このタイミングを狙ったかのように孫氏が昨日記者会見を行い新たな料金割引を発表。その名も「予想外割」(笑)。この割引を適用すればソフトバンク間の通話・メールは無料とのこと。但し、申込期間が限られていたり、付加的サービスの契約が必要などといった制約があるので、興味のある方はお気をつけて。その他にも、孫氏は競合他社が対抗値下げに踏み切れば、ソフトバンクも24時間以内に値下げを行うと記者会見の場で堂々と述べていましたから、これからの携帯電業界の競争はますます目が離せなくなってきました。

 テレビ各社はこぞってこの事を大きく報道していましたが、今日の日本経済新聞を見てみると、この発表を冷静に受け止めた報道でした。日経の方がかなり大人ということか・・・。何はともあれ、1兆数千億円にも上る負債を抱えたソフトバンクのお手並み拝見といきましょう。

 しかしまあ、ナンバーポータビリティーを機に各社が様々な戦略をとっていますが、僕にとっては完全に人ごとですね。対岸の何とやらといった感じです。僕はウィルコム一筋ですから。健康面のことを考えると、電波・電磁波の強い携帯電話より、PHSの方がはるかに安心です。今回ソフトバンクが打ち出して、携帯電話初といわれている料金制度ですが、ウィルコムではずっと前から同様のサービスをやっていますしね。携帯電話に押されて、PHSがなくなってしまわないでほしいと思います。

そんなわけで結論: I love  WILLCOM ! 

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2006年10月20日 (金曜日)

問題職員が全体のイメージを掻き乱す

 朝からみのもんたが吼えていた。奈良市の職員が「病気」を理由に休暇を取り続け5年間で8日しか出勤していなかったにもかかわらず、給料をほぼ満額もらっていた問題でだ。病気が真実ならまだ許せたが、「この男は毎日のように高級車を乗り回していた」とTBSは伝えていた。記者の質問にもノーコメント。みのもんたは怒りを抑え切れない様子だった。

 この男は今すぐにでも糾弾されるべきである。公務員の職務をなんと心得ているのか。思い上がりも甚だしい。奈良市の規則がおかしいのも問題である。しかし、きっとこの規則はこのような職員がいるはずがないという性善説に基づいて作られているのだろうから、仕方あるまい。これはおいおい改善されることだろう。

 何よりも僕が怒りを感じたのは、この男の身勝手極まりない行為が、その他の大多数であろう真面目な公務員への信頼を失墜させたことである。マスコミが取り上げるのは堕落したごく一部の人間だ。公務員とはいえ、人間である。社会全体のモラルが崩壊してきているといわれている今日、おかしい人間が役所に紛れ込んでしまうこともある。採用試験で人となりを見抜くのは難しいことだろう。いったん雇用されれば、排除されにくいこともこの問題に拍車をかけている。僕は公務員の身分保障の見直しには基本的には反対の立場だが、この部分は見直しも仕方あるまい。このような職員の存在は公共の福祉に反するものだ。こういう人間はやめさせられても自業自得である。

 世間の人には、このような節操のない職員や、この職員を生み出した役所の規則に対してだけ糾弾や疑問の声を上げてもらいたい。個々人の公務員に対しては、何も咎めないでいるのが正しい。今のマスコミの論調に流されて、公務員全体までもがそんなものだと思っては断じてならない。公務員には命を削るようにして毎日休みなく必死に取り組んでいる人だっているのである。ここで市民が道を踏み誤れば、我々の国、そして故郷がどうなってしまうか、大いに危惧するものである。

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2006年10月10日 (火曜日)

読めぬ北朝鮮の動き

 とうとう北朝鮮が核実験を実施したという。正直なところ、本当にするとはあまり思っていなかった。それだけに驚きは大きかった。

 実験が真実で、なおかつ成功していたとすれば、東アジアひいては国際社会全体のパワーバランスや核の恐怖の均衡が崩れ、新たな段階へ入ることを意味するだろう。わが国にとっても、大きな脅威が生まれてくることになる。ただし、まだ弾道ミサイルに搭載する技術はないと見られているため、まだ深刻極まりないという状況ではない。しかし、これも時間の問題であろう。

 北朝鮮の動きは読めない。識者と言われる人たちの見解の多くは、実験はまだしないだろうということだった。北朝鮮の行動は識者たちでもわからないということか。予測不能なところが北朝鮮の不気味なところである。

 今後、我が国は安倍総理が中心となって制裁をかける動きが速やかに行われることだろう。国際社会ももはや黙っては居れまい。北朝鮮は孤立を深めていくだろう。しかし果たして北朝鮮はこれに屈服するのだろうか。先の読めない国だけに制裁の後の動きが怖いところではある。しかし、我が国の新たなる脅威に対して、容認できずとして断固とした態度をとることは当然である。これは歴史のセオリーでもあると思う。

 今のところ一番心配なのは、実験によって放射能が飛散することだ。風向きからいって、放射能漏れがあった場合、北朝鮮北東部からロシア、中国の国境付近に到達する可能性があるということで、我が国への影響は少ないということであるが、今後実験を重ねていく上で失敗すれば、我が国で放射能汚染の被害が出るかもしれない。

 北朝鮮を一刻も早く止める方法はないのだろうか。

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2006年10月 5日 (木曜日)

小学校英語必修化は果たしてどうなる?

 最近、このブログで、この問題に関してのコメントのやり取りを盛んに行っていますが、その間も世の中は動いていましたね。少し古い話になりますが、就任直後、伊吹文明・文部科学相が、持論の通り必修化に対して否定的なコメントをして、文科省官僚がどうしていくか困っているようでした。先行きがかなり不透明です。

 白紙撤回になればいいのですが。

このブログ内の関連記事

   →「小学校での英語必修化に物申す!!」

   →「小学校英語必修化に疑問を呈す」

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2006年10月 2日 (月曜日)

今日の衆議院代表質問で

(今日のYahoo!ニュースより引用)『首相は、A級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判(東京裁判)については「わが国はサンフランシスコ講和条約により裁判を受諾しており、国と国の関係においてこの裁判に異議を述べる立場にない」と指摘した。』 (引用終わり)

 やっぱり、そうですよね。そうあるべきであると強く思います。

 このブログの関連記事→「東京裁判」

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2006年9月29日 (金曜日)

総理補佐官の活躍に期待

 今日付けの日本経済新聞の記事を読むと、早くも総理補佐官の動きに注目が集まっているようだ。アメリカ的な制度を取り入れる形で官邸を強化し、総理主導で政治をスピーディーに動かすための総理補佐官。大いに結構だと思う。現行の官僚制度ではいけない。官僚に大きな権限を持たせてはならないはずだ。

 90年代のバブルの崩壊にしても、大蔵官僚の裁量で「土地関連融資の抑制について」(総量規制)という通達が出されたことによる。このせいでバブルが一気に吹っ飛んでしまった。もっと段階的にバブル景気を抑えていくことが出来たはずなのに。官僚といえども、いくら大蔵省銀行局長という高級官僚だろうと、その分野のプロフェッショナルとは言い難い。彼らに大きな権限が与えられているのは恐怖ともいえる。彼らから力を奪うのがこれからの政治の大命題である。

 故に、総理補佐官の活躍に大いに期待している。

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2006年9月27日 (水曜日)

安倍内閣組閣

 いよいよ安倍内閣発足の運びとなりましたね。

 マスコミ等の報道では論功行賞だとか、仲良し内閣などという人事面での批判もありますが、僕から見ると、親交の厚い人、頼りになる人、考え方の一致する人で固めて何が悪いんだと思えます。戦後最年少の総理大臣ですから、議員内閣制の上でリーダーシップをとっていくには、内閣全体にこれまで以上のまとまりが必要でしょう。見た目は地味ですが、これからの結果を見て評価すべきですね。

 それにしても、総理就任後も安倍さんの口からこれからの具体的な政策をあまり聞かないように感じており、大変不満です。加えて言えば、弁論能力に少し疑問を感じます。我が国が議会制民主主義である以上、国会での論戦が健全でない限り、健全な政治はありえません。安倍総理は国家の根幹部分に関して修正を加えていこうという姿勢ですから、国会審議の白熱を期待します。昭和の「腹切り問答」ぐらいの事があってもいいと思います。安倍さんには、わかりやすく説得力のある国会答弁なり、会見等での発言を期待します。野党側も舌鋒鋭くやって欲しいですね。

 我が国の政治は、論戦のみによって動くべきと強く思います。そうして議会が正常に機能しない限り、変な力が介入し、日本国憲法が死に体から立ち直れないでしょう。

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2006年9月22日 (金曜日)

吉野家で牛丼復活していたけれど

 アメリカからの牛肉の輸入が再開されて、吉野家の牛丼も復活していたが、僕はアメリカ産牛肉は忌避すべきだと思う。食べたくない人は食べなくて良いという意見もあるが、食べたくない人が必ずしもすべての牛肉を避けることが出来るわけではなく、この人達への危険は無視できない。アメリカ産牛肉やそのエキスを使った食品は様々出回るだろうから。BSEは未解明の部分の多い不可思議な病だから、「疑わしきは罰す」方針で消費者は向き合うべきだ。政府がアメリカの要求をはねつけ続けるのが難しいのはわかるから、みんなでアメリカの性根を叩き直そう。日本人が食べなければ、アメリカも懲りると思う。

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2006年9月14日 (木曜日)

NO!小沢代表

 一般的な予想通り、民主党代表は小沢一郎氏の続投が決まった。これによって、これまでのトロイカ体制も存続される模様。今の民主党執行部の安定感は相当なものである。

 しかし、僕は小沢氏が代表になったことで、民主党に政権の座に着いて欲しいとはこれまで以上に思えなくなった。

 これまでは、長老議員が中心となった自民党のどす黒いまでの権謀術数的な派閥政治に対して、清新さが売りの民主党という関係を感じていた。前原前代表まではこの流れの中にあった。

 ところが、自民党の脱派閥化が進み、若き安倍総裁が実現しようとする中で、旧来の自民党の権化ともいえる小沢氏が民主党代表になったことにより、両者の関係が逆転しかかっている。これは民主党の党としてのイメージ戦略上マイナスなのではなかろうか。

 さらに、古株議員がいつまでも前面に出ることで、民主党の懐の狭さというか、人材不足を感じてしまう。

 前原執行部の戦後処理のためには、重鎮の小沢氏の代表就任は応急措置として止むを得ない事だと思った。しかし、このまま参議院選挙を戦ってもらいたいとは思わない。なぜなら小沢氏に我らのリーダーになってもらいたくないし、民主党が人材の面や、党として寄り合い所帯で意見集約ができていない面があるため、魅力的な政党だとは思えないからだ。今回の代表選びで対抗馬が出てこないというのも誠に情けない。しかも、小沢民主党と自民党の明確な対立軸がなかなか見えてこない。

 これまでのところを踏まえれば、前原前代表の方針は正しかったといえる。

 来年の参議院選挙は、自民党の新総裁が大きなしくじりを犯さない限り、比例区では自民党の議席数はほぼ維持されるかそれ以上獲れると予想する。小選挙区では候補者自体が問題なので候補者選びが極めて重要(長崎一区では先の郵政選挙においても自民候補は負けた。)。安倍氏は候補者の練り直しも視野に入れているというので、この辺がどうなるのかが焦点だと思う。

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2006年9月 9日 (土曜日)

誰が新総理にふさわしい?

 さて、総裁選が公示されましたが、自民党員ではない僕や多くの国民はただただ見守るだけです。昨日は記者会見、今日は演説会が中継されていました。

 貴方は誰がふさわしいと思いますか? たくさんのコメントお願いします。一緒に考えましょう。

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2006年9月 6日 (水曜日)

祝 男児ご出産

 紀子様が男児を御出産されたということで、誠におめでたい限りです。

 お子様の健やかなる御成長を祈念致します。 マスコミもあまり騒ぎ立てず、静かに見守っていくべきでしょう。

 

 また、これをきっかけに、皇室典範改正論議に一定の歯止めが掛かり、我が国の伝統である男系男子への継承が基本的に存続されることを願います。 

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今日の関心事 男児か女児か

 秋篠宮殿下の第三子は果たして・・・。

 個人的には男児でいらっしゃる気がする。是非ともそうあっていただきたい。 

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2006年9月 1日 (金曜日)

アメリカが臨界前核実験

 昨日のニュースでやっていたが、アメリカが23回目の臨界前核実験をしたという。僕はこのこと自体よりも、何故今の時期かというのが気になる。イランへの言外のプレッシャーだろうか・・・。

 いつものように長崎市長やその他平和団体が抗議している。核廃絶を訴えて。彼らの口から、目下のところのバランス・オブ・パワーなどの国際的力関係への影響などを鑑みた現実的プランを聞いた記憶がない。愚直に訴え続けて61年。その結果として世界で核が廃絶される現実はなかった。愚直さも大事だと思うが、本気であるならば政略が必要だと思う。

 特に、長崎市がしていることには限界を感じる(広島に関しては知らないが同じようなものだろう)。毎年の平和宣言文も、今回の抗議も、ただのパフォーマンスにしか見えない。お役所の事なかれ主義を感じる。毎回遠吠えするだけで終わっている。

 結局のところ、現時点において核廃絶というのは未だ時流に逆らっていて、何ら実効性を持たない主張にすぎないと感じている。

<2006年8月9・11・12日に、この記事の関連記事があります>

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2006年8月12日 (土曜日)

8月9日を終えての再考察②

 核兵器について考え直してみました。

 まず、核兵器は善か悪かを考えてみますと、できることなら存在してほしくなかった代物です。前の記事でも述べましたが。

 では、核兵器を廃絶させることは可能なのでしょうか。既に何万発も製造されているうえ、人間に科学力がある限り廃絶は不可能でしょう。既に手にしている強力な力を失うようなことをする国があるとは思えません。数を減らすことは可能でしょうが。

 では、ここで核兵器による国際政治学上の「バランス・オブ・パワー(力の均衡)」という考えも考慮してみましょう。いわゆる冷戦下では、アメリカとソ連が突出して核兵器を保有し、核抑止力によって世界の秩序を安定させていました。日本もまた、アメリカの「核の傘」の下に入ることで、防衛上かなり有益であったと思います。もはや、人類が手にした核の力は人類世界の安定には切り離せない存在になったといえます。しかし、現在では国際体制(NPT)外の国が核開発を行って核兵器を保有するようになりました。限られた保有国に対抗する意味合いもあるからでしょう。これからも、連鎖的に核兵器を持つ国は広がるかもしれません。しかし、これは大変危険です。国内的にも国際的にも不安定である国が核を保有することほど恐ろしいことはありません。いつ暴発するかわかりませんから。しかし、ここまでは通常の「バランス・オブ・パワー」論がなんとか通じます。現在・将来的に大きな問題はテロリストなどの、領土を持たない組織が核兵器を保有する危険性が高まっていることです。領土を持たない命懸けの相手に対して核抑止力が有効かは疑問です。現代では、核が必要であるという部分と、核が存在することで生まれる危険の2つが並び立っていることがわかります。

 そこでこれから重要なのは、「核兵器を持たせない」ではなく「使わせない」社会の実現だと思います。これには国際的な情勢の安定から始まり、全世界的世論の喚起や、徹底的な監視・制裁体制の実現が必要となるでしょう。今のNPTやIAEAの体制のままではいけないと思います。もっと強力な仕掛けがいるでしょう。新条約や権限強化が無難な案でしょうか・・・。妙案とは思えませんが。いつまでも国連頼りというのも、頼りない話ですね。国際的世論を動かすのは、教育やメディアやNGOの役割です。世界中で8月に核兵器について考えてほしいです。学校で教えたり、メディアで特集したり、NGOが啓蒙したりして。主眼としては平和学習というのではなく、核兵器の脅威・被害の実態についてのみ扱うがいいでしょう。「戦争をしてはいけない」ではなく「いつ如何なる場合においても核兵器だけは使ってはいけない」。この理由は、個人的な考えとして、平和主義者が増えることが本当に良いことなのかわからないからです。核兵器が人類の手に余る代物であると認識してもらうだけで十分です。

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2006年8月11日 (金曜日)

8月9日を終えての再考察①

 原爆をただの巨大爆弾だと誤解している人がいてほしくありません。ある人はその著書の中で、(空襲でも後遺症があるため)原爆と東京大空襲は同じようなものだと思う、苦しまずに一瞬で死ねるから原爆の方がマシだともと書いていました。僕はそれを読んだ後、何度も考えましたが、現在の考えでは、そうではないと思います。

 兵器とは、戦争状態が終結した後において禍を振りかざすものであってはなりません。その意味で、地雷であるとか、不発弾などというものが忌避されるのは当然でしょう。核兵器の脅威は、前挙のものとは違い、放射能は黙視できず、それが人体に恐るべき悪魔を植え付けていくということです。被爆者はいつ如何なる症状が出るかもわからず、その子供達へ魔の手が迫ることもあります。放射能は遺伝子へダメージを与えるのですね。また放射能だけではなく、強力な熱線も後々まで後遺症を残します。

 また、原爆という代物は、我々人類の科学力の粋ではありますが、我々はこの恐るべき存在によって我々自身を悪魔のしもべとしてしまいました。もはやこの兵器の前では、戦場での1対1の命のやり取りが美しくも感じられます。何世紀も前ならば相手の命を奪うとき、必ずその実感が各々の体と心に刻み込まれるでしょう。ボタン一つで可能な実感なき大量殺戮ほど惨たらしいことはありません・・・。後世のためにもならないでしょう。

 今や、兵器は我々の能力を超える域に達しています。鎧兜を着て、刀や槍や矢で生々しく戦っていた時代が懐かしいものです。

 人類は遠くない将来、持て余した「力」によって滅び去るのかもしれません。むしろ、その方が良いような気もします。61年前に、来るところまで来てしまったのですから。

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2006年8月 8日 (火曜日)

東京裁判

 最近、東京裁判を、勝った側の論理によって一方的に裁かれた裁判だとして否定する人が様々なメディアの場に登場しています。僕は彼らに対して懐疑的な念を抱かずにはいられません。

 東京裁判を否定するということは、現在の日本の国際的地位を否定することとほぼ同義だといえます。なぜなら、この東京裁判を下敷きにしてサンフランシスコ講和条約締結や日中国交正常化が成されたからです。東京裁判を無下にすれば、時代の歯車は終戦直後まで遡り、我々は世界で国際法上孤立するも同然です。

 そもそも、その時代の先人達が、異議はあったかもしれませんが、この判決を受け入れて新たな時代の国際関係を確立させようという英断を行ってくれたわけです。それを戦後60年も経った今に生きる我々が、先人達の想いの上にあぐらを掻いているにも関わらず、その思いを踏みにじるようなことをして許されるのでしょうか。

 このような自己否定的な考えを声高に主張する人の多くは、否定した先のことまで考えてはいません。日本人としてのプライドが満たされさえすればそれで満足といった人達のように思います。自己否定のその先には、当然新たな国際関係上のプランを練っていなければならないはずです。大概の人にとって、このあたりは無策です。サンフランシスコ平和条約や日中平和友好条約を破棄して、新たに講和条約を結ぼうとでもいうのでしょうか。そのような無責任極まりない人は、この問題に関して考えを主張する資格などないと考えます。

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2006年8月 5日 (土曜日)

いよいよ人口減少社会到来

 政府の発表によると、日本の人口が減少に転じたとのこと。いよいよ多くの人々が危惧する人口減少社会に突入したようです。しかし、僕はそこまで悲観視してはいません。日本の持てる力を巧く使いこなすことができれば、事態を打破できると信じたいと思います。また、人が減れば社会インフラに余裕ができて住みよくなるかもしれません。そもそもこの狭い国土に対して人口が多すぎた感があります。そのために固有の美しい自然は次々と破壊され開発が進められてきました。人口が減ろうとも、それがどうしたというのでしょうか。我が国は必ずしも経済大国で在り続ける必要はないのです。その時々の身の丈にあった経済力で十分ではないでしょうか。一人あたりの経済力が維持できれば、国全体としての経済力が多少衰退しようと問題ありません。年金や保険等は制度設計をやり直す必要があるでしょうが、働くことに喜びを見いだすことのできる民族である日本人は一生現役になろうとも何とかやっていけることと思います。とにもかくにも、日本が自身の強みと弱みを正確に把握し、強みを最大限に生かしていかなければならないことは確かです。加えて、食糧自給が100%自前で行われるようになれば最高です。鎖国しても生きていけますからね。

 日本の将来を悲観視する論調が横行していますが、これに反論する書籍を紹介します。この著者の本はどれも読みやすいですよ。しかも、頭に染みついた「常識」をきれいに洗い落としてくるのでお薦めです。

「人口減少」で日本は繁栄する―22世紀へつなぐ国家の道 Book 「人口減少」で日本は繁栄する―22世紀へつなぐ国家の道

著者:日下 公人
販売元:祥伝社
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2006年7月29日 (土曜日)

総裁選どうなるものか・・・

 さて、いよいよ総裁戦に向けた論戦が始まりましたね。ここから組閣までが今年の政治で一番盛り上がるところでしょう。いずれの候補が総理総裁になろうとも、中身のある改革を断行するには強力なリーダーシップが不可欠です。改革のエンジンたる経済財政諮問会議も、昨年九月の自民党の大勝によって力関係が変わり、今では党が主導権を握りつつあります。この状況下で次の総理になる人は、小泉式のトップダウン方式は使いづらいように思います。

 いずれにしても、どのように政権を運営していくのかも見所の一つではありますね。

 どのようにして総理大臣がトップダウン式に運営できるようになったかの過程はいかに紹介する本に詳しく描かれています。小泉流の政策決定プロセスの神髄を知りたい方は是非どうぞ。

官邸主導―小泉純一郎の革命 官邸主導―小泉純一郎の革命

著者:清水 真人
販売元:日本経済新聞社
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2006年7月28日 (金曜日)

今読んでいる本~小泉外交~

外交を喧嘩にした男 小泉外交2000日の真実 Book 外交を喧嘩にした男 小泉外交2000日の真実

著者:読売新聞政治部
販売元:新潮社
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 もうすぐ小泉総理も総理をお辞めになりますが、外交において、総理が果たしてきたもの、小泉外交とはいったい何だったのかを再考してみましょう。この本は、かなり綿密な取材の成果といえるものです。アメリカのボブ・ウッドワード氏の著作である「ブッシュの戦争」や「攻撃計画」を標榜してつくられているようにも思えました。これらの著作には劣るものの、この本は合格点に達していると思います。いつの中央公論だったか忘れましたが、その中で、慶應義塾大法学部の助教授が日英の対米外交について、アメリカとのパートナーシップをとる中で、アメリカに国際協調を促す役割を果たしたと書いていました。アメリカと国際社会を繋ぎ止めるのに貢献したということです。この本の中でも、小泉外交はそのように描かれています。対米追従一辺倒というわけではなかったわけです。その意味で、小泉総理の対米外交はかなりの成功を収めたといえるでしょう。この本の中には、対北朝鮮、対中国に関する章もあります。今やこの2国との首脳外交は膠着状態にありますが、事態の打開を願ってやみません。  

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2006年7月 7日 (金曜日)

”グラウンド・ゼロ”に驚き

 先日図書館に返却した、トーマス・フリードマン氏の筆によるニューヨークタイムスのコラムを集めた書籍、”グラウンド・ゼロ”を読んで大変驚いたことがあります。

 この本の中には、フリードマン氏の日記として、コラムを書いた背景も記述されています。この中で、ニューヨークタイムスのコラムニストである氏は、アラブの王族もいるパーティーに出席したり、東欧の大使館から米政権の今後の行方について問い合わせを受けたりと、僕の想像を遥かに超えた領域で活動していました。日本の新聞のコラムニストにこんな人は一体いるのでしょうか。こんなジャーナリストは稀有の存在だと思います。世界中の様々な階層の人と接し、世界各地の現場へも足を運ぶ氏が執筆したコラムは、時に辛辣ですが強い説得力があります。3回ものピューリッツァー賞受賞暦は伊達ではありません。

 日本の新聞のコラムもアメリカ並みに充実してほしいと切に願います。日本のジャーナリズムのさらなる発展を祈念いたします。

 以下は、その本と、氏の最新の著作を紹介します。僕も今後読もうと思っています。

グラウンドゼロ アメリカが初めて体験したこと―「NYタイムズ」コラム集成 Book グラウンドゼロ アメリカが初めて体験したこと―「NYタイムズ」コラム集成

著者:トーマス フリードマン
販売元:ウェッジ
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フラット化する世界(上) Book フラット化する世界(上)

著者:トーマス・フリードマン
販売元:日本経済新聞社
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フラット化する世界(下) Book フラット化する世界(下)

著者:トーマス・フリードマン
販売元:日本経済新聞社
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2006年6月21日 (水曜日)

小学校英語必修化に疑問を呈す

 必修化に向けた動きが着々と進んでいるようですが、実際に必修化にして効果はどれほどあるのでしょうか。

疑問①教員について

 小学校教員は英語教育について知識は少ないでしょうし、実際に英語が苦手という人も少なくないと思います。経験もありません。大学を卒業してから、英語とはすっかり疎遠になっていることでしょうから、文法・語彙・発音など様々な面で力があるのかわかりません。教師の過去に英語が得意だったか不得意だったかが教育に深く関係してくるため、教師一人ひとりの差が大きいというのが現状ではないでしょうか。

 また、ALTを活用してそういった問題を補おうということになってくると思いますが、ALTは日本語がおぼつかない人が多く、教師とALTの間の意思疎通が潤滑に図れるかわかりませんし、ALTの指導力も人によりけりです。

 そういった状況下で全国画一的にこれを実行し、成功させるのは不可能に思います。

疑問②教育内容について

 まだどうなるのかよく知らないのですが、小学校で必修化しても、その期間でやることといえば、基本的挨拶や簡単な文法・単語を使った会話程度ではないでしょうか。それをやったからといって、果たして予想されるような効果があるのでしょうか。中学校での内容の前倒しにしかならないような気がしてなりません。あくまで推測を前提にした話なので最終的にはなんともいえませんが、以前主張したように、speaking能力にも重点をおいた教育をするだけでも、「英語を話せる」人は増えていくと思います。

 結論としては、現状と起こりうる弊害を比較して慎重にやってほしいと思います。

 このブログ内の関連記事→”小学校での英語必修化に物申す!!”

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2006年6月12日 (月曜日)

NHK「日本のこれから」米軍基地編を見て②

 白状しますと、「見ていた」というのは事実とは違います。僕の部屋にはテレビを置いていないので、ラジオで聴いていました(テレビの音声がひろえる機種です)。ですので、議論の盛り上がり方がどれほどか視覚的には全くわかりませんが、雰囲気としては理解しています。相当な白熱ぶりでした。その中でも、一般の参加者の方で、「軍隊(自衛隊・米軍)を日本からなくして見せれば戦争を仕掛けられることはない」と熱心に主張なさる方がいらっしゃったと思いますが(記憶違いならご免なさい)、これに強く反駁を加えたいと思います。

 平和主義者がよく使うロジックだと思います。「軍隊が無ければ戦争は起こせまい。さらには、そうした精神を見せれば、他国はその国を尊敬し侵略などは起きない。また外交努力によって全ての問題が解決できる。」 しかし、このような考え方はあくまで理想に過ぎず、実現可能性は限りなく0に近いと思うのです。

 もし、軍隊をこの日本からなくしたとしましょう。するとどうでしょうか。それに喝采を送る人もいるかもしれません。しかし、それに乗じて攻撃を仕掛けてくる国はないと言い切れるでしょうか。答えはノーです。民間人は当然ながら武器らしいものは持っていませんし、警察力ではどうしようもありません。また外交において、軍隊が無いというのは大きなマイナスでもあります。国際政治では、実際に外交交渉において進展がなかったり、自分に有利でないとき、軍事力を盾に交渉を進めていくというのが大国の間で日常茶飯事的に行われています。この現実を知るべきです。 国際政治学上も、こうしたことが外交の要因の1つとして認められているのです。軍事大国に押し切られてしまう可能性は高いです。

 あまり反駁らしい反駁にはなっていませんが、今回はこの辺でペンを置くことにして、安全保障の問題については、今後深く語っていきたいと思います。それによって、この反駁は完全なものになると考えています。 

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NHK「日本のこれから」米軍基地編を見て

 「日本のこれから」という番組は大好きでよく見るのですが、毎回色々なことを考えさせられます。今回は、米軍基地問題について答えのない熱い討論が行われていましたが、番組の中で、基地の騒音が如何に物凄いものかという実体験もしていました。あんなところに暮らしている人がいるのかと思うと、胸が痛みました。

 米軍基地の大部分は沖縄にあります。沖縄では地域経済に米軍基地が取り込まれているというのもあるのか、基地賛成派もいますが、大部分は反対派と見ていいと思います。

 沖縄県はかなり以前から、基地の縮小や移転を政府に訴えてきましたが、事態は一向に進展しませんでした。当然でしょう。基地の縮小はアメリカとの外交交渉によらねばならず、これまで合意は難しかったことでしょう。また、どの自治体も、新たに基地を受け入れるというのは承服しがたいというのは当たり前です。

 僕は、沖縄が本気で基地を追い出したかったのであれば、政府ではなく国民全体に訴えるべきだったと思います。沖縄県は、人口的にも日本全体の1%程度であり、他の99%が住む自治体が受け入れを容認しがたい以上、「もう少し我慢してくれ」ということになるのは見えていたはずです。ならば、なぜ世論の力を味方につけようとしなかったのでしょう。マスコミは、どれほどの爆音が基地周辺でしていて、住民の健康被害がどれほどのものかということもほとんど取り上げていませんでした。そうした中、沖縄県は政府には陳情に行くけれども、国民全体に対するムーブメントにかけていました。99%には手をつけず、1%の力のみで闘おうとしているのです。それよりも、新聞・雑誌に一面広告を出したり、テレビCMやインターネット広告などを利用して、「私たちはこれほど苦しんでいるのです」「米軍移転・縮小に向けて皆さんの力を貸してください」などと訴えたり、基地に関する問題の啓蒙キャンペーンを起こして、そこでは数知れない沖縄出身の有名人に協力してもらうとか。また基地にほとほとウンザリしているのなら、日米間の条約・規定に基づいて米軍が存在しているのだから「我々沖縄は日本から独立したい」と知事が言えばよかったと思います。本気でする気がなくとも、パフォーマンスとして発言するだけで、政府も真剣に受け止めるし、マスコミも連日取り上げるだろうし、何よりそれによって国民にこの事を考えさせる効果は大きいでしょう。重要なのはプロパガンダです。

 つまり言いたいのは、もはや世論によってしか沖縄の基地問題は解決し得ないということです。世論が高揚すれば、日本政府も大車輪の働きをするかもしれないし、アメリカ政府も、基地問題をもっと真剣に考えてくれることになると思います。怖いのは、国民が無関心になってしまうことです。沖縄県内ですら、基地から離れたところに暮らす若い世代には無関心な人も多いとか。これでは、まるで意味がありません。県内から意識改革をする必要があるようです。

 沖縄はいつまでも被害者意識を引きずっているだけでは駄目です。

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2006年6月 8日 (木曜日)

公務員を軽んずるべからず!

 最近のニュースを見ていますと、公務員の給与や退職金の縮小、あるいは公務員数の純減というように政治が動き、世論の多くもそれに同調しているように思えます。しかし、これは本当によい事なのでしょうか・・・。

 最近の動向をまとめてみますと、3月20日に人事院の研究会が公務員給与との比較対象に民間の中小企業にも広げるべきだ(従業員数100人以上→50人以上)という中間報告をまとめ、人事院はこれに沿って調査し、早ければ今年夏にも給与改定の勧告に反映させる模様。同月27日には、これまで国家公務員に準ずると位置づけられてきた地方公務員給与ですが、各地域の民間給与との均衡を重視すべきだとする最終報告がまとめられ、総務省は2006年度の給与改定から順次、見直しを実施するよう要請するといいます。また、公務員にスト権を含む労働基本権を付与して純減を進めようとする動きもあります。《参考・引用:ヤフーニュース 3月20日、同月27日》 

 私の立場としては、官の効率化、徹底して無駄をなくすという政策には大賛成です。民でも運営可能なものに関しての民間委託など、どんどん進めてもらいたいと思います。構造改革の方向性に関しては賛成なのです。

 しかし、ことに公務員の給与や待遇の話になると、反対せざるを得ません。

 公務員に求められているものは何でしょうか。能力が優秀であることは大前提であると思います。そのため、国も地方もエリート職員採用にはかなり難関といわれる試験を課しているのは周知の事実と思います(もちろんエリートだけに限ったことではないと思います)。

 日本は官僚政治(ビューロクラシー)であるといわれることがありますが、それでも日本が成り立っているのはその官僚がしっかりしているからだと思います。

 では、そんなに優秀な人材はなぜ公務員を選ぶのでしょうか。優秀ならば、民間の一流企業に勤めたり、起業したり、資格を取って開業したりして、公務員以上の収入を得ることは可能なはずです。やはり彼らは、ある程度高い収入があることと、解雇のリスクがないことや、行政にかかわりたいという純粋な想いが動機となって公務員という道を選んでいると思います。

 それなのに、公務員の給与・退職金を減らしては、公務員という仕事の魅力がなくなっていってしまいます。優秀な人材は公務員にはならなくなると思います。ほかの仕事をしたほうがずっと豊かに暮らせるからです。もしもスト権を含む労働基本権を与えて解雇をするようになれば、これは決定的でしょう。そうなれば公務員のメリットはほとんど失われるからです。

 数ばかり見て、人の心理を見ていないこの改革は、めぐりめぐってこの国の将来を危うくしそうでとても心配です。

 公務員にいいイメージを持たない人もいるかもしれません。先日も社会保険庁で不祥事がありましたし、週刊誌では怠惰な公務員の姿の写真を掲載しているものもありました。

 しかし、本当にあんな人たちばかりで行政が成り立っていると思えますか? あの人たちが怠惰な分、影で汗水たらして民のために頑張っている人たちがいるとは思えませんか?

 多くの人に僕の考えに対するご理解を頂けたらと思います。最後に確認のために一言言っておきますが、僕は政治組織や労働者団体とは一切関わりがありません。

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2006年6月 7日 (水曜日)

ウィルコムが来年以降株上場!

 僕も使用しているPHSのウィルコムが来年以降に上場するらしいです。今日の日経新聞に記事がありました。PHSは携帯電話に比べ、電磁波が弱く、SAR値は国内の基準値を大幅に下回っています。最近では料金体系も改善され、業績も上がっています。こうした人に優しい商品を提供する企業が個人的には好感が持てます。

 何より、身近な企業ですから投資してみたいところです。

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2006年6月 6日 (火曜日)

小学校での英語必修化に物申す!!

 小学校での英語教育を必修化すると中教審が最終決定し、学習指導要領にも必修化を盛り込むという動きがあります。。。

 確かに、人生を振り返っても、学校教育で英語をまともに話せるようになったとは思えません。これは僕だけではないはずです。

 しかし、だからといって、早くから教えればいいという考えは間違っていると思うのです。我々が上手く英語を話せないのは、日本の中学校・高等学校での英語教育がreadingやwriting、hearingにばかり特化し、speakingに重点を置いてこなかったからだと思います(オーラルコミュニケーションという科目が高校のときにありましたが、1年次のみで週1回、しかも内容もかなり緩いものでした。これではやらないのとあまり変わらないなと感じたのを覚えています)。僕は高校が進学校だったこともあるのか、高校卒業時にはある程度のreading、writing、hearing能力は身についたと思います(今ではさび付いてきましたが・・・継続が大事ですね)。今必要なのはこの時期の英語教育のやり方を変えることではないでしょうか。これは各校で現在の取り組み方にばらつきがあるとは思いますが、進学校は受験に無駄なspeakingをなおざりにしがちです。やはり、全国的に「話せる学生」を増やしたいのであれば、指導要領などの根本から変えるべきだと考えます。これによって、授業時間等々の問題が発生してくると思いますが、週休二日制を撤廃すれば話は簡単なのです。長崎の場合、高校では土曜補習を行うことがとても多く、週休二日制はまるで意味を成していません。そもそもゆとり教育の効果があったのかさえ僕には疑問です。

 今進められているような方向で実行に移されると、いろいろな弊害が出て来ることでしょう。石原都知事(だったかな?)がおっしゃっていたように、自国語が定着していない時点で他言語の勉強をするというのは、共倒れになる危険があります。また、週休二日制やゆとり教育の状況下で必修化をすれば、当然他教科の授業時間にしわ寄せがくるわけです。学力低下が叫ばれている中、更なる低下に拍車をかけるのは必定といえるでしょう。親や教育者などのステークホルダーは、もっと声を大にして反対すべきではないでしょうか。(学力低下については、九九が分からない高校生もいると新聞で読んでビックリしたことがあります。登校拒否・引きこもりなどの問題も絡み、事態は深刻かつ複雑です。)個人的に思うのは、小学・中学時代には親や先生はもっと子供に日本の良さや、繊細な感性でしか分からないような日本文学の素晴らしさを伝えてほしいですね。日本語って素晴らしい(なおかつ高度な)言語だと思います。「日本」を理解する。そのあとに世界を(英語を)理解する。これが日本人が日本人たりえる条件だと思います。

 結論としては、現行の中学からの必修のままにし、週休二日制を撤廃して、その分をspeaking能力向上にあてる。またその他の教科にもあてて学力低下を食い止める。小学校での必修化は、これが上手くいかないと確認できるまではするべきではない。と、こういうことになります。

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