高校3年生にとっては人生の一大事であるセンター試験まで、あと3ヶ月程になった今になって、彼らにとってとんでもない事態が各地で起きている。
事の発端は富山県の進学校だったと思うが、地歴2科目が卒業に必要な単位であるところを、1科目しか授業をしていなかったとのこと。さらにはその履修不足を隠蔽していたというのでマスコミがこぞって取り上げた。これがきっかけとなって、全国各地で履修不足の高校が明らかになっている。
そもそも、なぜこの学校は1科目しか教えていなかったのか。答えは簡単だ。大学受験には世界史・日本史・地理のうち、1科目しか必要ではないからだ。地歴が2科目必要な大学は稀で、最高学府と呼ばれる東京の某大学と、それと双璧をなすといわれる京都の某国立大学くらいだと記憶している(東京の方は、文系の受験においてセンター試験で1科目、2次試験で2科目必要、京都の方は、センター試験と2次試験を異なる地歴科目で1科目ずつ受けねばならない)。3年間という限られた時間で結果を残したい高校生にとっては、受験に必要のない科目をわざわざ履修することは無駄にしか感じられないだろう。
僕の高校時代のことを思い出してみる。
高校1年生の頃、地歴は世界史が必修で、地理と日本史のどちらかを選択させられた。僕は日本史を選択。1年生では、世界史A(世界史の概説)と日本史A(幕末以降の日本史)という科目を履修した。しかし、実際は、世界史Aの授業では世界史Aの内容を習わなかった。他の地歴教科においてもいえる事だが、一定程度以上の大学を受けようと思うならば、Aの範囲では全くもって不足なのである。詳説であるBの内容を学習する必要がある。そこで、世界史Aの授業では、先生が世界史Bの教科書のコピーを配り、世界史Bの内容を教わった。1年からBの範囲をやっておかないと、受験の頃までに授業の進度が間に合わないというふうに担当教師から説明を受けた。日本史AはAの内容だったが。
高校2年生になると、地歴は1科目に絞って履修しなければならなかった。僕は好きな日本史を選択し、世界史の授業は受けなくなった。日本史は日本史Bとなり、Bの範囲(縄文時代~現代)を頭から習い始めた。
ここまで読んでいただければ、僕が地歴の学習でどれほど回り道をしているかお分かりのことと思う。世界史は最初の方から詳しくやっていたので、1年間で習った範囲は西暦1000年までぐらいだっただろうか。これが3年間で習った「世界史」である。直近の1000年間のことを全く触れずに終わってしまった。日本史においても、3年生になると、日本史Bの明治時代以降に授業が入り、結局1年生の時に習ったことよりも詳しい内容なので、1年生の履修は無駄だったような気がしてならない。
結論としては、日本の教育制度は根本の設計段階で誤っているとしか思えない。
歪んだ制度の下で、今の若者たちは学んでいるのである。
さらにいえば、大学受験を考えている高校生にとっては、受験に必要のない教科をやりたくないのは当然である。大人たちがどう思おうと、このことを無視しては先へは進めない。こういう若者は、一般的に、受験に不必要な教科に対しては単位さえもらえればよいと思っているから、受験に必要な科目に比べて、取り組みが甘い。だからあまり身に付かないで終わる。教えること自体が無意味に近い。学力低下云々、教養云々と言いたいのであれば、大学受験科目を増やせばよいのだ。今回の問題にしても、世界史ともう一科目の地歴科目が必修なのだから、大学受験を地歴2科目(世界史は必須)が要るようにすれば万事丸く収まるではないか。
ここまで話を進めてきたが、世界史が必修で日本史は選択のままでよいというふうに、現在の制度を肯定するつもりもない。教育問題が政治問題化してきた今、このことをより議論して、現行制度の悪しき部分は早く改善してほしい。教育は国の根幹である。公教育が日本国民をつくるのだから。
最後に。僕は高校時代、受験に関係ない教科でも、好成績獲得のために勉強をそれなりに頑張りました。結局選択しなかった世界史も学年トップになったことだってあります。僕の人格に関して勘違いなさいませんよう、お願いいたします。


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