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2007年3月 7日 (水曜日)

いじめをどうしたらいいのだろう

 先日、NHK「日本の、これから」を観ながらいじめについて考えていた。

 僕自身は特にいじめられた経験もないし、いじめたような記憶もない。また、僕の周りでも極めて深刻ないじめは起きてはいなかった。

 だが、社会全体としてのいじめというものは、巧妙化・陰湿化しているようだ。

 この背景としては、何が挙げられるだろうか。

 僕個人としては、子供達のなかで「異分子」を排除しようとする傾向が強まっていることと、コミュニケーション能力の低下が問題だと考えている。

 日本人は多かれ少なかれ、自分と異質な人間を嫌悪する傾向がある。日本人の島国気質と言おうか、皆自分と共通の人間であるという意識がどこかにあるが、最近の子供や若者はこれが強いのではなかろうか。一度、自分や周りの多数と違う点が露見した時、その人に対して排斥的な態度を示す人間が年々増加している感がある。折りしも個人の嗜好が多様化している昨今、この傾向は非常に皮肉な結果をもたらしている。

 また、この悪循環に拍車をかけているのが低年齢層のコミュニケーション能力の低下である。最近の子供や若者の語彙は明らかに減少している上、他人とのコミュニケーションが苦手な人が増えていると思う。さらに、「キモい」「ウザイ」のように発する言葉がワンフレーズ化していることも特記しておきたい。これらの事象は、いじめる側といじめられる側の双方にあり、それぞれの誘因となりうる。

 ワンフレーズに全てのニュアンスを含めたり、それらの言葉でしか気持ちを表現が出来ない人が増えていることで、意思疎通の面で支障をきたすケースがままある。また、「キモい」「ウザイ」など悪口がワンフレーズ化することで、その言葉が向けられた相手の受けるショックは逆に増す。さらには「死ね」という言葉を何かある度に頻繁に使う人間も増えた。僕はストレスを感じつつも「まあ、いつかね」などと至極当然の事を返していたが、それは相手が本気で言っていないことが分かっていたし、次第に慣れたのでそこまでインパクトはなかった。しかし、免疫がない人が、相手から真面目顔でこのような言葉を言われたら、大変なショックであることは間違いない。こうした暴力的なワンフレーズが氾濫することで、いじめが拡大しているというのも間違いないと思う。

 また、暴力も、暴力的な言葉なしでも、現代ではいじめが可能だ。「無視」というものがある。今ではいじめという存在は、誰でも造作もなく、罪悪感がほとんどない状況で行うことが出来る世の中なのだ。

 

 こうしたいじめを解決しようと、大人達は色々と知恵を絞っているが、僕は起こってしまったいじめを大人の手で解決するのは極めて困難だと思う。

 そもそもいじめというのは「子供達の人間関係がこじれた状態」であって、これに大人達が強権をもって介入しても、子供達のなかで自浄作用が起きない限り、真の意味での解決にはならない。

 いじめへの対処の先頭に立っているのは教師だが、先生の権威が失われ、子供や親との信頼関係が結べていない先生が少なくない昨今、そうした人が指導しても子供達の心へ言葉は届かない。

 こうした現状にあっては、大人のすべきことはいじめの予防ではなかろうか。

 いじめを許さないという土壌を、学校や家庭をはじめとした子供達の生活空間全てでつくりださなくてはならない。また、どこからがいじめかを子供達に認識させなければならない。基本的には、自分がされて嫌な事を他人にすれば全ていじめになると思う。そして、子供が触れるテレビやインターネットなどのメディアも規制されるべきで、バラエティ番組のときに暴力的・言葉いじめ的演出はこのままでは世の中の為にならないと思うし、家庭のパソコンも保護者機能設定を徹底すべきだ。

 いじめが起きてしまった時には、子供がすぐ気軽に通報出来る第三者機関が必要となる。現状では子供が自分の中で問題を抱え込む事が多く、問題の解決にも予防にもつながっていない。いじめられている子供や、目撃した人が、匿名でも連絡出来るようにし、すぐさま現場や警察にフィードバックされ、一応の解決を見届けるまでコミット出来るような仕組みづくりが不可欠だ。また、授業を担当しながらの指導には無理が生じることがあるため、いじめ対処や生活指導のみに専念する要員を全校に配置すべきだ。そうした上で、出席停止措置制度を活用して、いじめた人間といじめられた人間を長期的に引き離すことも多くのケースで行われればよい。また、公立校でも、いじめた側を退学処分にしたり、強制的に転校させたりすることが簡単に出来る社会にすべきだ。個人的には、さらに一歩踏み込んで、刑事罰等の社会的制裁を与えたり、ボランティアに参加させたりという罰則を社会的に大いに検討すべきだと考えている。

 こうしたいじめに対する抑止を社会全体として行うことで、予防につなげていくことが今最も求められているのではないだろうか。

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コメント

 記事拝読しました。
 去年、虐め問題に関して、タレントとしても活躍している魚博士のさかなくんの見解が朝日新聞に掲載されていました。
 それによると、空間のあり方の問題が要因として上げられるのではないか、というのです。
 さかなくん曰く、メジナを例にこう説明します。
 大海を自由に泳いでいる時は、仲間同士での突付き合いはありません。
 ところが、人口的な水槽など狭い空間に移されると、個体としての一定の空間(縄張り)を確保・維持できないため、それを確保するため攻撃を加えるようになるというのです。
 人も動物である以上、同様のそうした感覚があるんじゃないか、そうした習性を無視した制度設計の上に成り立つ擬集性の強い学校空間の中にいるから虐めが発生する、という内容でした。
 さかなくんの見解は、かなり鋭い指摘だと思った次第です。
 現実に起こっている問題への対策はもちろん必要ですが、問題を発生させる構造を変革しないとこうした問題は減らないでしょうね。

投稿: ごろろん | 2007年3月 8日 (木曜日) 01時21分

 コメントをお寄せいただきありがとうございます。
 僕もさかなくんの指摘は一理あると思います。しかし、学校という形態は昔からずっと続いてきているものです。それに、例えば人数が少人数だからといっていじめが無くなるかといえばそれは疑問です。
 しかし、何らかの根本原因を解消しない限りこの問題が解決しないことも事実ですね。

投稿: SIR-5 | 2007年3月10日 (土曜日) 15時14分

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