気になったローカル記事
ヤフーニュースより引用いたします(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061212-00000007-nnp-l42)。
高校生薄れる平和への関心 原爆投下日63%誤答 長崎総科大調査 「教育見直しも必要」
長崎総合科学大学長崎平和文化研究所が同大付属高校(長崎市)の生徒に対して10月に実施した「核と平和」に関する意識調査で、長崎、広島の原爆投下日を正しく答えられなかった生徒が、過去最高の63%に上ったことが分かった。年号を間違えるケースが目立ったという。
同大の芝野由和助教授(政治学)は「夏休みの平和学習で、『8.9』や『8.6』に登校するのが恒例化し、時代背景を含めた戦争への理解が足りないのではないか。世界の核情勢と関連付けた平和教育などの見直しも必要だ」としている。
調査は全生徒を対象に毎年実施しており、今回は381人が回答した。長崎原爆の投下日(1945年8月9日)は36%、広島原爆(同6日)では31%が正しく答えたが、両方とも正答したのは30%にとどまった。両方とも誤って答えた生徒が60%を超えたのは初めて。調査の統計を取り始めた92年は両投下日とも正答した生徒が73%、誤答が13%だった。
また、沖縄への米軍基地集中問題と自衛隊の海外派遣に関する選択問題では「分からない・無回答」がそれぞれ33%、31%で最多だった。「分からない」という回答がこの5年間で増加傾向にあるという。
核兵器廃絶の可能性についての質問では「無くなった方がいいが、大国が核保有に固執するから無くならない」が最も多い41%。「安全保障のために必要」と回答した生徒は7%だった。
生徒の76%が長崎市出身者。9割以上がこれまでに長崎原爆資料館の見学や被爆者の体験談を聞く機会があったという。
=2006/12/12付 西日本新聞朝刊= 《引用終わり》
一言で言えば残念です。長崎出身者である以上、長崎への原爆投下日くらいは覚えていてほしかった。無礼を承知で言えば、確かに総科大付属高はあまり成績のいい子が行く学校ではないかもしれません。けれど、被爆地に生きる者として最低限の知識として身に付けておくべきものが身に付いていないこの現状は、被爆地として風化が進んでいることの顕著な兆しと言えるでしょう。核廃絶云々は個々人の考えが違ってよいと考えますが、全面戦争の愚かさを忘れてはなりません。長崎だけは忘れてはならないと思います。61年という歳月は確かに長いものです。しかし、これから日本がいかなる状況におかれるとしても、過去の重大事を忘れては建設的な議論も出来ません。ここでは過去に囚われろと言っているのではありません。過去を噛み締めることなく、ただ忘れ去っていくのでは過去を乗り越えることの意味もなくなります。
もちろん長崎市は平和教育にかなり力を入れています。原爆投下日を知らずとも、被害の凄まじさを認識していない人はいないでしょう。しかし、投下日を間違える生徒数が増加しているというのはどこか憂慮せざるを得ません。平和教育はかつてほど子供たちの心に残るものではなくなってきつつあるのでしょうか。隔世の感を感じているのでしょうか。
確かに、平和教育では原爆被害の実態や被爆者の方のお話を聴く事は出来ます。そして大半の場合、現在でも核保有国は存在して核はなくなっていない、というところで教育が終了します。そしてそうした国は早く廃絶すべきだと若干怒りをこめて結論付けられます。
僕が最近感じるのは、なぜ核兵器を持つのかというところの理解が不足しているのではないかということです。 どうして世界を滅ぼしてしまうような兵器を持つ国があるのか。
国際政治学における力の均衡(バランス・オブ・パワー)論や、国際関係学上のハードパワーの必要性、ホッブス的平和観・グロティウス的平和観・カント的平和観などの違い、現在の軍事などなど、学問上の考えや情報を学ぶことで、現在の現実世界とのリンクが増え、単なる感情論だけではなく、平和について考えさせられることと思います。僕も実際そうでしたのでこれを提言したいと思います。
感情論と理論の双方を会得することで、新世紀のナガサキ人が建設的に議論に関われる人になればいいなと思います。僕もそんな人間になれればいいのですが。
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