総理補佐官の活躍に期待
今日付けの日本経済新聞の記事を読むと、早くも総理補佐官の動きに注目が集まっているようだ。アメリカ的な制度を取り入れる形で官邸を強化し、総理主導で政治をスピーディーに動かすための総理補佐官。大いに結構だと思う。現行の官僚制度ではいけない。官僚に大きな権限を持たせてはならないはずだ。
90年代のバブルの崩壊にしても、大蔵官僚の裁量で「土地関連融資の抑制について」(総量規制)という通達が出されたことによる。このせいでバブルが一気に吹っ飛んでしまった。もっと段階的にバブル景気を抑えていくことが出来たはずなのに。官僚といえども、いくら大蔵省銀行局長という高級官僚だろうと、その分野のプロフェッショナルとは言い難い。彼らに大きな権限が与えられているのは恐怖ともいえる。彼らから力を奪うのがこれからの政治の大命題である。
故に、総理補佐官の活躍に大いに期待している。
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コメント
民主党に期待していないSIR-5さんからすれば、首相補佐官が官僚の力を抑えるのが望ましいのかもしれませんね。
ちなみに、今朝は朝日新聞も「首相補佐官と各省庁の綱引きが始まった」という記事が一面でした。
僕は、SIR-5さんとは違って、民主党に期待しているところもあるんですけどね。
理由を聞かれても困るのですが、なんとなくって感じですかねえ。
論戦できるほど僕は賢くないし知識もないのでコメント返しはお手柔らかにお願いします(笑)。
投稿: サイン | 2006年9月29日 (金曜日) 14時32分
いえいえ、僕のほうが若輩者ですよ(笑)
民主党・・・。最近は自民党の世襲議員が増えて、自民には立候補の新枠がないということで、官僚出身者が民主へ流れているという記事をどこかで読んだ気がします。また、労働組合も民主の支持母体ですよね。ですので、民主にはほとんど霞ヶ関の改革は期待していません。
それ以外を見てみても、前原前代表のような対案主義は今はありません。そんなところと議論しても、批判ばかりであって、一向に建設的とは思えないんですよね。よって、民主は後退したと思ってしまうんです。二大政党制は日本では遠いんでしょうか。何かで、外国(例えばアメリカやイギリス)の二大政党制は時代遅れになりつつあるという事を読みました。政策が似通ってきて、明確な対立軸が無いんだとか。日本も、自民と民主の主張は対立軸があまり鮮明でないときが多い気がします。二大政党制ではなく、新たな世界の政治トレンドを模索したほうが良い気もするのですが。
投稿: SIR-5 | 2006年9月29日 (金曜日) 17時47分
TBありがとうございます。
せっかくTB頂きながら恐縮ですが、
総理補佐官が「銀行局長」たちより、
有能で、適切な政策判断が可能だ、という
論拠を教えていただければ幸いです。
投稿: 緑風院主 | 2006年9月29日 (金曜日) 23時11分
緑風院主様、コメントありがとうございます。
>総理補佐官が「銀行局長」たちより、有能で、適切な政策判断が可能だ
いえ、そこまで申し上げたつもりはありません。官僚たちが(彼らは国民が選んだわけでもないのに)一国の情勢を大きく左右させる権限を持ち、それを自分たちの裁量で行使できるのが問題だと考えるわけです。今回の総理補佐官の増員は政治主導でやっていこうという安倍総理の心意気のあらわれであり、これをきっかけに霞ヶ関の権限を縮小してくれればと思います。
投稿: SIR-5 | 2006年9月30日 (土曜日) 11時10分
さっそくのお返事ありがとうございます。
ただ、例示の通達にしろ、はたして、官僚が「裁量」で出したものなのか、それほど強力な存在なのか、まだまだ議論の余地はありそうです。
投稿: 緑風院主 | 2006年9月30日 (土曜日) 23時08分
コメントありがとうございます。返事が遅れてすみません。
いずれにしましても、日本の官僚制度ないしは官僚の力が現状のままでよいと思えますか?
投稿: SIR-5 | 2006年10月 2日 (月曜日) 16時16分