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2006年8月11日 (金曜日)

8月9日を終えての再考察①

 原爆をただの巨大爆弾だと誤解している人がいてほしくありません。ある人はその著書の中で、(空襲でも後遺症があるため)原爆と東京大空襲は同じようなものだと思う、苦しまずに一瞬で死ねるから原爆の方がマシだともと書いていました。僕はそれを読んだ後、何度も考えましたが、現在の考えでは、そうではないと思います。

 兵器とは、戦争状態が終結した後において禍を振りかざすものであってはなりません。その意味で、地雷であるとか、不発弾などというものが忌避されるのは当然でしょう。核兵器の脅威は、前挙のものとは違い、放射能は黙視できず、それが人体に恐るべき悪魔を植え付けていくということです。被爆者はいつ如何なる症状が出るかもわからず、その子供達へ魔の手が迫ることもあります。放射能は遺伝子へダメージを与えるのですね。また放射能だけではなく、強力な熱線も後々まで後遺症を残します。

 また、原爆という代物は、我々人類の科学力の粋ではありますが、我々はこの恐るべき存在によって我々自身を悪魔のしもべとしてしまいました。もはやこの兵器の前では、戦場での1対1の命のやり取りが美しくも感じられます。何世紀も前ならば相手の命を奪うとき、必ずその実感が各々の体と心に刻み込まれるでしょう。ボタン一つで可能な実感なき大量殺戮ほど惨たらしいことはありません・・・。後世のためにもならないでしょう。

 今や、兵器は我々の能力を超える域に達しています。鎧兜を着て、刀や槍や矢で生々しく戦っていた時代が懐かしいものです。

 人類は遠くない将来、持て余した「力」によって滅び去るのかもしれません。むしろ、その方が良いような気もします。61年前に、来るところまで来てしまったのですから。

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