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2006年8月12日 (土曜日)

8月9日を終えての再考察②

 核兵器について考え直してみました。

 まず、核兵器は善か悪かを考えてみますと、できることなら存在してほしくなかった代物です。前の記事でも述べましたが。

 では、核兵器を廃絶させることは可能なのでしょうか。既に何万発も製造されているうえ、人間に科学力がある限り廃絶は不可能でしょう。既に手にしている強力な力を失うようなことをする国があるとは思えません。数を減らすことは可能でしょうが。

 では、ここで核兵器による国際政治学上の「バランス・オブ・パワー(力の均衡)」という考えも考慮してみましょう。いわゆる冷戦下では、アメリカとソ連が突出して核兵器を保有し、核抑止力によって世界の秩序を安定させていました。日本もまた、アメリカの「核の傘」の下に入ることで、防衛上かなり有益であったと思います。もはや、人類が手にした核の力は人類世界の安定には切り離せない存在になったといえます。しかし、現在では国際体制(NPT)外の国が核開発を行って核兵器を保有するようになりました。限られた保有国に対抗する意味合いもあるからでしょう。これからも、連鎖的に核兵器を持つ国は広がるかもしれません。しかし、これは大変危険です。国内的にも国際的にも不安定である国が核を保有することほど恐ろしいことはありません。いつ暴発するかわかりませんから。しかし、ここまでは通常の「バランス・オブ・パワー」論がなんとか通じます。現在・将来的に大きな問題はテロリストなどの、領土を持たない組織が核兵器を保有する危険性が高まっていることです。領土を持たない命懸けの相手に対して核抑止力が有効かは疑問です。現代では、核が必要であるという部分と、核が存在することで生まれる危険の2つが並び立っていることがわかります。

 そこでこれから重要なのは、「核兵器を持たせない」ではなく「使わせない」社会の実現だと思います。これには国際的な情勢の安定から始まり、全世界的世論の喚起や、徹底的な監視・制裁体制の実現が必要となるでしょう。今のNPTやIAEAの体制のままではいけないと思います。もっと強力な仕掛けがいるでしょう。新条約や権限強化が無難な案でしょうか・・・。妙案とは思えませんが。いつまでも国連頼りというのも、頼りない話ですね。国際的世論を動かすのは、教育やメディアやNGOの役割です。世界中で8月に核兵器について考えてほしいです。学校で教えたり、メディアで特集したり、NGOが啓蒙したりして。主眼としては平和学習というのではなく、核兵器の脅威・被害の実態についてのみ扱うがいいでしょう。「戦争をしてはいけない」ではなく「いつ如何なる場合においても核兵器だけは使ってはいけない」。この理由は、個人的な考えとして、平和主義者が増えることが本当に良いことなのかわからないからです。核兵器が人類の手に余る代物であると認識してもらうだけで十分です。

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