日本のW杯熱に疑問
12日、サッカーワールドカップ本大会の予選リーグで日本はオーストラリアに敗れた。僕の周りの部屋では日本がシュートしたり、ピンチになるたびに奇声が起こって、大変うるさかった。僕の部屋にはテレビがないので、ラジオで試合模様を聴いていたが、ハーフタイムの間に寝てしまった。起きてみると日本は負けていた。何とない予感が的中した。
それにしても異様である。この日本全土でのサッカー熱がだ。いつから日本人はこれほどサッカーにのめり込んでしまったのだろう。普段は興味がない人までも、W杯となるとテレビで観戦する。おそらく、前回大会が日本で開催され、日本も予想以上の好成績を収めたためなのかもしれない。それにしても僕は最近不思議でならない。日本人とはこのような人間だっただろうか。つまり、3位以上になることがほぼあり得ない競技を熱心に応援するような人種だったろうか。オリンピックにしても、メダル獲得の可能性が高い競技にばかり目が行き、WBCにしても元々日本は3位以上となる期待が高かった。
これに対する答えは明白であるように思える。この熱気はメディアが仕込んだものだ。あらゆるメディアが、サッカーの対外試合が行われる度に大きく取り上げ、そしてこの大会が近づくにつれ、どんどん過剰になっていく。日本人は実像以上に日本代表に期待するように仕向けられてきたのだ。NHKまでも、それらの動きに引きずられるようにニュースの中で無駄に多く取り上げている。
テレビに限れば、視聴率を取れればいいと思っているとしか思えない。それはそうだ。W杯の放映権獲得にはかなりの金額がかかっている。人気に乗っかった間連番組も組んでいる。視聴率が取れなければそれも水の泡だ。だから大会を盛り上げようと各局とも躍起になる。
監督がジーコになってからこれまでの日本代表の対外試合を見ても、あまりW杯で飛躍しそうなチームには見えなかった。それをマスコミは粉飾して国民に過剰に期待を持たせた。だから格下相手に負けた今回、国民は余計にガックリくるのである。全ての元凶はマスコミにある。マスコミは責任を取ってしかるべきだが、まだまだチャンスはあると言って国民を煽るのを止めようとしない。
試合に負けた後、日本のスタジアムで応援していた人が肩を落としたり、うつむいていたりする姿を第三者的な見方で見たとき、申し訳ないが面白く感じた。どれほど我々が翻弄されているのかをかいま見たような気がしたからだ。また、試合展開に一喜一憂する姿を見て、ナショナリズムの形成過程を見るような気もした。
もちろん我が国が勝つことに越したことはないが、完全敗北して国民が目を覚ますのもいいかなとも思う。メディアの思うとおりにさせてはならないのである。メディアに流される国は堕落していくしかないだろう。そんなことを思いながら、あまりW杯に熱中できず(前回大会は熱中できたが)、冷めた目で大会とメディアと世間を眺める今日この頃なのである。
熱心なサッカーファンの方はこの記事で気分を害されてしまったかもしれないが、これは僕個人の私見であるのでご勘弁いただきたい。4年に1度のW杯を是非心ゆくまで楽しんでください。
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コメント
こんばんは。
メディアに踊らされているサインです。
僕は、日本代表の試合となると、注目してしまいます。
それはやはり、メディア(特にテレビ)が大々的に取り上げるからだと思います。
今回の記事を読ませてもらって、改めて、そのことを確認しました。
まあ、自分自身、そういうメディアに踊らされているのですが。
ところで、ナショナリズムといえば、香山リカさんが、前回のワールドカップのときに、「プチナショナリズム」という言葉を発明しましたね。
投稿: サイン | 2006年6月15日 (木曜日) 00時02分
元来サッカー好きな人はもちろんのめり込んで当然だと思います。他の多くの国との交流が進むといいですね。
投稿: SIR-5 | 2006年6月15日 (木曜日) 12時55分
メディアに流されて踊るのは日本人の得意技でしょうか・・・。かくいう自分も踊らされている側の人間だと思いますが。
情報を偏って取り上げるメディアも悪いと言えば悪いかも知れませんが、やはり情報は使う側がしっかり取捨選択する必要がありますよね。学校の「情報」では教えてくれない、「情報学」を僕達は学ぶべきなのかもしれません。
投稿: Rig | 2006年6月15日 (木曜日) 22時42分